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コーヒーブレーク 64 「十二支」

 

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桐一葉フォッサマグナの上にかな

フォッサマグナは日本列島を東北日本と南西日本とにわける大きな地溝帯で、そもそもがラテン語で「大きな溝」の意味。明治のはじめに来日したドイツの地質学者エドモント=ナウマンが発見し命名したという(ナウマンといえばナウマンゾウの化石でも有名)。日本海側の新潟県糸魚川から太平洋側の静岡県とを結ぶ線あたりがそれにあたり、幅数十km、厚さ約10kmの堆積物でおおわれている。/地球の表面をおおうプレートの境界線の一部がちょうどそのあたりにあり、北アメリカプレートとユーラシアプレートとがせめぎあっている。もちろんここは地震の巣であり、焼山・妙高山・浅間山・八ヶ岳・富士山・箱根山など多くの火山が並んでいる。

芒野に佇めば身体屈折す

ススキは芒・薄とも書き、また尾花・茅・萱とも呼ばれる、イネ科ススキ属の植物である。有用植物のひとつで、野生に生息しごくふつうに見られる多年草だ。背丈はときに3mほどにもなることがあり、そうしたススキが群れをなし、風に抗して一定方向に穂をみな倒している様子はなかなか幻想的である。とりわけ逆光をすかして見るススキはたいへん美しく、いかにも秋の到来という気がする。

十二支に選ばれざるもの日向ぼこ

日本では十二支(じゅうにし・えと)の動物といえばネズミ・ウシ・トラ・ウサギ・タツ(リュウ)・ヘビ・ウマ・ヒツジ・サル・トリ(ニワトリ)・イヌ・イノシシである。人間生活の比較的近辺に生息しなじみのある動物であるが、虎や龍が含まれていることからもわかるように、もともとは中国の歴法等によるものである。/世界には十二支と同様なものがあり、国によってブタやスイギュウやヤギ、ワニ、そしてネコが入ることもあるという。日向ぼこする動物といえば今はまっさきにネコを思い浮かべる人が多いと思うが、中国で十二支にこのネコが採用されなかったのは、古代の中国ではネコはまだそれほど一般的な飼育&愛玩動物(ペット)ではなかったからという説もある。

 

鳥海山の冬景

 

めっきり寒くなってきました。平地でもときおり霙(みぞれ)や霰(あられ)が降ってきます。写真は11月29日昼頃のものですが、鳥海山も標高300mくらいまで雪で白くなっています。気温はまだ最低でも3〜4℃ほどはあり、マイナスにはなっていませんが、それももう間もなくでしょうね。車のタイヤも冬用のスタッドレスタイヤに交換です。

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ペーパーウェイトの製作の風景

 

過日のペーパーウェイトのDタイプを製作しているようすです。企業秘密というほどではありませんが、製作にあたっては加工精度や安全面・コスト低減など、さまざまな面での工夫と注意点があるのですが、詳細な説明はあえて省きます(プロの方は写真をご覧になっただけである程度の推測ができるとは思いますが)。まあこんな感じで作っているんだということを一般の方やユーザーの方に知ってもらえればと思っています。

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シクラメンのそろいぶみ

 

自宅の洗面脱衣室の窓辺に並んだシクラメンです。左側から1番目と2番目は1年ほど前に買って、1ヶ月くらい前からまた花が咲き始めたもの。3番目のピンク色のシクラメンは最近になって新しく買ったもの。4番目の白いシクラメンはまだ花が少ないですが、一昨年の冬に買ったもので丸2年経ちます。濃紅から白色まできれいにグラデーションをえがいており、うっすらとですがいい香りも放っています。

これらのシクラメンは通常のシクラメンよりやや小さめのミニタイプのもので、こうやって窓辺において楽しむにはもってこいの花。値段もひと鉢600円くらい。生産者にはもうしわけないくらいに安いですね。

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シテ句会 2015.11.18

 

奇数月の第3水曜日に開催しているシテ句会です。『シテ』は現代詩や俳句や短歌などの短詩系文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、有志および外部の者による句会も行っています。場所は酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店にて、午後6時半〜9時。

今回の参加者は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・南悠一・加藤明子(出句のみ)、それに今回は見学というDEさんの7名です。事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群(第一幕・第二幕)の中からおのおのが2句ずつ選びます。その句を取った弁、あるいは取らなかった弁をみなで述べ評し合ったあとで、はじめて作者名が明かされます。こうしたやり方は他の句会でもほぼ同じで、先入観を排しできるだけ忌憚のない批評・意見を出してもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。遠慮のない辛口批評を含みます。異論反論もあると思いますし、コメントいただけたら幸いです。では第一幕から。(頭の数字は得点)

2 秋の星遠く散りぬる花火かな
0 石畳花の都に紅葉散る
3 父の竿握りて父のハゼを釣る
2 みずあかり百葉箱にしぐれ過ぐ
1 梨園に泣き果てる子のあたたかし
4 落葉路風とみまごう蜘蛛の糸
2 桐一葉フォッサマグナの上にかな

最高点4点句は<落葉路〜>です。秋の陽に蜘蛛の横向きの長い糸が輝いて、それがまるで見えないはずの風を可視化しているようだという着眼点はたいへんおもしろいと思います。私も取りました。ただ「風とみまごう」とせずに風であると言い切ってしまう手もあります。それから、蜘蛛の糸は通常は夏の季語とされているので、伝統的俳句観を墨守される方からは季語のちぐはぐさを指摘されるかもしれません。また落葉路は表記としては落葉道のほうが適当かと思います。作者は今井富世さん。

この句とは直接は関係ありませんが、落葉が歳時記では冬の季語とされているのは、私にはかなり抵抗があります。当地のような雪国では、葉が散っているうちはまだ秋で、葉がみな落ちて樹々が裸木になる頃には雪が地面をおおってしまうのが普通だからです。そうなればもちろんもうまぎれもない冬です。落葉の積もった道という景ももちろん一時はあるのですが、それはやはり雪国のイメージではまだ秋(晩秋)ですね。

次点句3点句は<父の竿〜>ですが、おそらくは亡くなられた父上がかつて愛用していた釣り竿をつかって、いつの日か父といっしょに釣ったこともある場所でいま釣りをしているのでしょう。そのあたりの機微を「父のハゼ」と表しているわけですが、自分であからさまに答えを先に出してしまっているきらいがあります。父〜父とせずともおのづからそれを読者に想わせる工夫が必要ではないでしょうか。作者は伊藤志郎さん。(ちなみに私の父親はもっぱらカーバイドを持ってのアユの夜釣りだったこともあって、いっしょに釣りに出かけたことは一度もありません。)

2点句は3句あります。はじめの<秋の星〜>ですが、「遠く散る」をどう解釈したらいいか迷いました。物理的な遠景の花火かとも最初考えたのですが、それだと星とは視線の齟齬があり……。作者の相蘇清太郎さんにればこの花火は追憶の花火であって、その夏の風物や景は過ぎ去ってしまい秋が訪れている。かつて花火が光っていた夜空にはいま星がかがやいている、ということのようです。現実の花火ではなく追憶であれば、秋と夏の季語との同居とはいえないかもしれないという気がしてきました。ただそうだとすると、星はもともと秋の季語なので、上五はもっと練ったほうがいいです。

次の2点句<みずあかり〜>はこれも一読二読してもどうも句意がつかみきれません。みずあかりは普通は池や川面に反射した光が建物の軒先や壁や天井などをほの明るくすることを意味します。建物にかぎらないとしても、要は水面からの反射光ですね。それに対して百葉箱は気温や湿度などをできるだけ正確に測るようにするために通風性のある白い外装で、芝生の上1.5mくらいのところに設置されるのではなかったでしょうか。とすると水あかりとはあまり縁がなさそうです。作者は南悠一さん。

三つ目の2点句は<桐一葉〜>ですが、フォッサマグナは東北日本と西南日本をわける大きな地溝帯のことなので、その巨大な地形の上に桐の葉が一枚落下したということ。これは単に大きなものと小さなものとの対比というだけではありません。「桐一葉」という言葉は古代中国の書『淮南子』の「一葉落ちて天下の秋を知る」からきているからです。天下国家の衰亡の兆しを、季節の推移に重ねてみているという意で、「桐一葉」もしくは「一葉」「一葉落つ」は初秋の季語となっています。むろん当句は現在の日本の地震・噴火の頻発や政治経済の混迷状態をも背景としています。作者は私です。

1点句<梨園に〜>は、だれがいつどこでなにをどうしてどうなったという5W1H的散文そのままのため、かえって趣をそいでいるといえます。さかんに泣いていた子供もいまはもう泣き止んで、抱いたらぬくもりが感じられたということですが、上五が梨園でいいのかどうか、下五で「あたたかし」まで言う必要があるのかどうかは推敲されるべきでしょう。作者は大場昭子さん。

<石畳〜>の句には点が入りませんでした。作者=加藤明子さんは先日のパリのテロ事件のことを詠んだらしいのですが、たぶんそれはまったく読み手には伝わりません。石畳+都+紅葉とくればむしろ日本的伝統的情緒そのままの常套的な表現となってしまいます。

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さて第二幕です。

1 きっぱりと衣かえたり橅の森
2 雲ゆたかゆっくり翳る刈田あと
3 十二支に選ばれざるもの日向ぼこ
1 鵙の舌無花果一つまだあるよ
1 羊追う犬の背中にひつじ雲
2 参道を帰りは急ぎし七五三
4 白鳥を描く子の空あおく澄み

最高点4点句は最後の句<白鳥を〜>です。当地にも白鳥はたくさん飛来し、とくに最上川河口は国内有数の規模です。写真を撮ったり絵を描いたりしている人もよく見かけます。この句では小学校の授業かなにかで子供たちが白鳥の絵を描いているのでしょう。その絵には白鳥のさまざまな姿と青空が描かれているのですが、それをまた誰かが(自分が)遠くからみなひとまとまりのものとして眺めている。視点は二重になっていて、そこがいいですね。「あおく」とひらがなにしたのも効果的です。中七でいったん切れることで、それがよくわかります。私も取りました。作者は伊藤志郎さん。

次点3点句は<十二支に〜>の句です。十二支は日本ではネズミ・ウシ・トラ・ウサギ・リュウ・ヘビ・ウマ・ヒツジ・サル・ニワトリ・イヌ・イノシシというラインナップですが、身近な動物なのにこれに入っておらず、かついかにも日向ぼっこをしてそうなものといえばまずネコがあげられます。ほかにタヌキとかキツネとかシカとか。つまり十二支に「選ばれていない」ということによってある特定の動物だけではないさまざまな動物を読者に想起させています。もちろん先述の動物がなぜ十二支に選ばれたのかということも。作者は私です。

2点句は2句あり、まず<雲ゆたか〜>ですが、稲刈りが終わった田んぼの上に、雲の影がいくつも落ちています。積雲かなにかでしょうね。空をゆっくりと流れていくのですが、それは収穫が無事に終わった安堵の気持ちとも相呼応しているようです。「ゆたか」「ゆっくり」と韻を踏んだ言葉を用いることでそれが明らかになります。作者は大場昭子さん。

もう一つの2点句<参道を〜>は、やや常套的。多忙な生活の中での七五三参りのためでしょうか、帰りは足早になっているようです。が、それだけでは当たり前で俗的で、情趣に欠けます。作者は加藤明子さん。

1点句は3句。<きっぱりと〜>ですが、葉をみな落として裸木ばかりになったブナの林のことを詠んでいるようですが、衣替えは夏の季語であるというのと、落葉広葉樹の場合は逆に晩秋から初冬にいかにも寒そうな姿になってしまいます。衣を替えるというよりは衣を脱いでしまうという感じです。もしも黄葉を詠んでいるのだとしてもそれは徐々にすすみ、また個体差もかなりあるので、きっぱりという雰囲気はありません。作者は今井富世さん。

<鵙の舌〜>は私にはよくわかりませんでした。作者=相蘇清太郎さんからは、加藤楸邨の鵙の句を、とりわけ俳人の金子兜太の出征に手向けた<鵙の舌焔のごとく征かんとす>という句を下敷きにしているとの説明がありました。う〜ん、読者はそこまではぜんぜんわかりません。金子兜太は高名かつ現役の俳人ですが、よく膾炙される代表的な句へのオマージュ(hommage)ならいざしらず。むろん言うまでもなくある有名な句を暗にふまえて作句するのはよくある方法ですが、読み手がその元の句をまったく知らなくとも観賞に耐えうるだけの強度が必要でしょう。

<羊追う〜>は、さきほどの<白鳥を〜>の句と同様の構図を持つ句。羊の群れと牧羊犬とひつじ雲が浮かんでいる空との広大な景です。ただこのままでは作為的であり羊+ひつじ雲でくどい感じがするので、中七を「犬の背中や」としていったん切ったらどうでしょうかね。作者は南悠一さん。

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句会がいちおう終わったあとに、私のほうから参考資料として、今年度(H27年度)の現代俳句協会の現代俳句新人賞を受けた山岸由佳さんと瀬戸優理子さんの受賞作各30句のコピーを配布しました。

総じてはライトバース的な句が多いのですが<満月の浅瀬は砂を吐きつづけ><冬木発つバス美しく海の底><月光に雪の溶けゆく音を聞き>(山岸由佳)、<それぞれの門をくぐりて夏の果><秋茄子を割れば放心の白さ><鳥引くや手錠のように腕時計>(瀬戸優理子)といった句があります。

 

双眼鏡

 

ジオガイド等の仕事で使うことがあるので、双眼鏡を思いきって新調しました。これまでも4、5千円程度の安物の双眼鏡は持っていたのですが、性能は当然のことながらいまいちで、使いにくいこともあってあまり出番がありませんでした。

今回の双眼鏡はプロユースといっていい高性能なもので、KOWAというメーカーのSV32−8という機種でダハプリズム型。ニコンやペンタックスなどに比べ一般的な知名度は低いのですが、そのためもあってか性能のわりには価格的にお買い得なように思います(定価で24000円くらい)。型番が示すように対物レンズの有効径は32mm、倍率は8倍です。

登山などの野外でも使用するので防水仕様で、全体が堅牢にできています。重量は565gありますが、首かけのストラップは幅広で柔軟性があり、 携行していても苦になるような重さではありません。視界は非常に鮮明で明るく色味も自然で、使用感は抜群です。さっそく月光川の自然産卵のサケを観察したり、工房近くの採石場を遠望してみましたが、肉眼とは比較にならないくらい迫力があってびっくりしました。

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ジオガイド養成講座 10

 

6月28日にスタートしたジオガイド養成講座 も今回11月8日で10回目(希望参加の久慈行きを除くと9回目)。初級講座はこれにて終了です。9回のうち7回以上出席した受講生には「修了証」が渡されましたが、全58名のうち44名という結果でした。今回は受講生以外の一般参加も交えての会合だったので、これまでの講義の内容と重なる部分も一部あります。

 

第一部
まずは、「ジオパークで地域を元気に!」と題して、山陰ジオパークの公認ガイドである今井ひろこさんの講演。ジオパークとはなんぞやという話からはじまり、ベースとする兵庫県香美町における具体的な活動事例もすこし交えてのお話です。全国各地で講演もされているそうで、非常にパワフルな話し振りでした(声のトーンが高く、若干聞き取れない部分も)。

私にとってはいちばん関心があるジオガイド自体の話はあまりなく、タイトルにあるようにジオパーク認定を手ががりに地域振興をいかにすすめていくかの話に重点が置かれています。たしかにその地域に人が定着し、経済的にもうるおっていかないとジオパークは絵に描いた餅になってしまいますね。最後に「温故知新」あらため「温故地新」でがんばろうということで締めくくり。

第二部
次は「鳥海山・飛島ジオパーク構想推進活動報告」ということで、本協議会の専任研究員である岸本誠司さんから。今年3月の発足から現在に至るまでの教育的な活動や、秋田大学・秋田県立大学・山形大学との連携による調査研究、釜磯海岸(漂着ゴミ)や本荘の黒松林の保全活動、今後の一般の方の受け入れにそなえてのガイド養成講座の開催などの報告が行われました。

「Touch! ふれる・楽しむ・好きになる」というキャッチフレーズの入れた、飛島と鳥海山の紹介ビデオも上映されました。

第三部
秋田県立大学 木材高度加工研究所教授、栗本康司さんによる「鳥海山の山体崩壊による埋もれ木の特性解析」。これは私の仕事である木工にもおおいに関係する内容なので、たいへん興味深く拝聴しました。

日沿道の象潟インターチェンジの工事にともなう埋もれ木の発掘を端緒に、その材の放射性炭素による年代測定が行われた結果、鳥海山北面の山体崩壊が紀元前466年(約2500年前)の冬から春の時期であることが確かめられました。昨年のことです。大気中の炭素14が樹木の生長とともに内部に取り込まれて固定され、その樹木の埋没等による活動停止の後は炭素14が放射崩壊によって減少していきます。その割合を精密に調べることによって、年単位で樹木の年齢を確定することができるとのこと。

このときの山体崩壊は岩なだれで、わずか10分程度で海に達したと考えられ、その土砂の量も60億トンくらいとみられます。山林の樹木のみならずそのときそこに住んでいた動物や人間も一瞬にしてほぼ全滅してしまったでしょう。恐ろしいことです。

鳥海山の埋もれ木は従来はスギが多かったのですが、今回のIC工事でみつかった埋もれ木はスギはすくなく、ケヤキ・ナラ・クリといった落葉広葉樹が大部分だったようです。縄文晩期の当地の植生がどうだったかの手がかりにもなりそうです。ただし発見場所の地形などからの推定では、その埋もれ木はもともとそこに生えていたのではなく、上部から流されてきて谷間に集まったもののようです。

埋もれ木にはポリフェノールが多く含まれ、それが土中の鉄分と反応することによって黒っぽく変色することが普通にある。とくにナラやクリは墨のように真っ黒になることも。また、鳥海山の場合は一瞬で土砂に埋没したために木部の組織構造はそれほどダメージを受けておらず、乾燥による収縮変形や強度特性も、他の埋もれ木にくらべあまり劣化していない。つまり埋もれ木細工としての活用はまずまず可能のようです。

おもしろいのは年代年輪法です。樹木の年輪の幅を細かく調べデータを多数重ねていくことで得られる「標準年輪曲線」と対照することによって、埋没材や考古材・建築材などの古い木材の年齢を1年単位で正確に特定できることです。さらにそれらを調べることによって古い時代の気候を推定復元することもできるということです。

以上のさまざまな意味合いにおいて、鳥海山麓から産出する埋もれ木は希有かつ非常に貴重な材料であることはまちがいなく、今後さらに詳しい調査研究が必要ということでした。

 

書の額装

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いつもお世話になっている家具のお客様から、小学校時代に書かれた書の額装を依頼されました。これまで他の方からリトグラフなどの額装を依頼されたことは数回あったのですが、書ははじめてです。問題はずいぶん縦長のため通常の台紙(マット)が使えないことと、書をプラスチックの筒に封入されていたとはいえ、やはり経年変化で若干の汚れが生じていたことです。

額縁屋さんに相談したところ、知り合いの表具屋さんを紹介していただきました。そこで書の洗いと、マットにかわる布張りの台を作ってもらいました(素地は当方で提供)。その寸法に合わせてオニグルミの柾板でフレームを製作しました。できあがりサイズは厚み25mm、幅424mm、縦1314mmです。やはりずいぶん大きいです。

書はじつに端正で力強く、とても小学6年生のものとは思えないくらい立派です。文言もすてきですね。「特選」を獲得したのもおおいに頷けます。

(※ お名前は写真からは消しています。それにしても表具の布張りと木枠の微妙な質感・色合いはこの写真ではほとんどわかりませんね。)

 

バロック真珠のブローチ

 

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当工房のお客様で、ある品物を納めた際に「うちにもこういうのがあるんだけど」ということで見せていただいた羊のブローチです。驚きました。

金色に光っている部分はゴールドそのもののようで、全体的にかなり持ち重り感があります。柄も大きめなので(幅5〜6cm)、冬のコートなどの厚みのある服でないとつけられないのが逆に悩みだそうです。胴体や脚は金のフレームに、まん丸ではない変わった形の真珠=バロック真珠を、毛並みに沿ってじつにうまくかつぜいたくに配しています。数えてみると45個も。頭部が非常にリアルに造形されている点もすばらしいと思います。

ずっと昔に某ギャラリーで展示されていた作家物のブローチだそうですが、お客様のお生まれが羊年なこともあり、一目でいたく気に入られたとのこと。なるほど、そうだろうなと納得です。ちなみに車が1台買えるほどの値段だったようです。

 

庭の花 5

 

9月1日以来の「庭の花」です。 もう11月も中旬になり、わが家の庭もだいぶ淋しくなりました。もともとたいして手入れも作りもしていないので、よけいうらぶれた感じです。

今回は咲いているすべての花を写真に撮りましたが、それでもわずか6種類だけで、しかも2種類(コモンラベンダー、ハキダメギク)は以前の「庭の花」にすでに登場したものです。まあこの記事は自分自身のための備忘録のようなものなのでご容赦ください。

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アザレア(ツツジ科)西洋ツツジといわれるもので、これは園芸品種。今年の2月くらいに鉢植で買い求め、花が終わってから春に庭に地植えしたもの。うまく育つかどうか心配したが、最近になってまた花をつけてきた。

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コモンラベンダー(シソ科)別名イングリッシュラベンダー。開花の最盛期は初夏だが、その後も数はずっと少ないものの咲き続けている。草ではなく小低木である。

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タツナミソウ?(シソ科)これも鉢植えで春に買い求めたものを庭に植えたのだが、株が一回り以上大きくなった。しかしなぜ今頃咲くのかわからない(狂い咲き?)。タツナミソウの仲間は種類が多いが、この白花は単にタツナミソウの白花品種なのか、それとも他種なのかもわからない。赤く紅葉している大きな葉は鉢植えにこぼれた種が発芽して大きくなったもののようだが、これもなんだか定かではない。

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ハキダメギク(キク科)先にふたつ切れ込みのある5枚の小さな舌状花がかわいい。それにしてもネーミングはひどいが。

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(キク科)ゴマナのような気もするが、よくわからない。勝手に生えてきたもの。

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ノコンギク(キク科)すこし前までカーポートのそばにわりあいたくさん咲いていたが、その最後の残り。実物はもっと花びらが青紫がかっている。ごくありふれた菊だが、とても感じがよく好きな花だ。