ジオガイド養成講座 10

 

6月28日にスタートしたジオガイド養成講座 も今回11月8日で10回目(希望参加の久慈行きを除くと9回目)。初級講座はこれにて終了です。9回のうち7回以上出席した受講生には「修了証」が渡されましたが、全58名のうち44名という結果でした。今回は受講生以外の一般参加も交えての会合だったので、これまでの講義の内容と重なる部分も一部あります。

 

第一部
まずは、「ジオパークで地域を元気に!」と題して、山陰ジオパークの公認ガイドである今井ひろこさんの講演。ジオパークとはなんぞやという話からはじまり、ベースとする兵庫県香美町における具体的な活動事例もすこし交えてのお話です。全国各地で講演もされているそうで、非常にパワフルな話し振りでした(声のトーンが高く、若干聞き取れない部分も)。

私にとってはいちばん関心があるジオガイド自体の話はあまりなく、タイトルにあるようにジオパーク認定を手ががりに地域振興をいかにすすめていくかの話に重点が置かれています。たしかにその地域に人が定着し、経済的にもうるおっていかないとジオパークは絵に描いた餅になってしまいますね。最後に「温故知新」あらため「温故地新」でがんばろうということで締めくくり。

第二部
次は「鳥海山・飛島ジオパーク構想推進活動報告」ということで、本協議会の専任研究員である岸本誠司さんから。今年3月の発足から現在に至るまでの教育的な活動や、秋田大学・秋田県立大学・山形大学との連携による調査研究、釜磯海岸(漂着ゴミ)や本荘の黒松林の保全活動、今後の一般の方の受け入れにそなえてのガイド養成講座の開催などの報告が行われました。

「Touch! ふれる・楽しむ・好きになる」というキャッチフレーズの入れた、飛島と鳥海山の紹介ビデオも上映されました。

第三部
秋田県立大学 木材高度加工研究所教授、栗本康司さんによる「鳥海山の山体崩壊による埋もれ木の特性解析」。これは私の仕事である木工にもおおいに関係する内容なので、たいへん興味深く拝聴しました。

日沿道の象潟インターチェンジの工事にともなう埋もれ木の発掘を端緒に、その材の放射性炭素による年代測定が行われた結果、鳥海山北面の山体崩壊が紀元前466年(約2500年前)の冬から春の時期であることが確かめられました。昨年のことです。大気中の炭素14が樹木の生長とともに内部に取り込まれて固定され、その樹木の埋没等による活動停止の後は炭素14が放射崩壊によって減少していきます。その割合を精密に調べることによって、年単位で樹木の年齢を確定することができるとのこと。

このときの山体崩壊は岩なだれで、わずか10分程度で海に達したと考えられ、その土砂の量も60億トンくらいとみられます。山林の樹木のみならずそのときそこに住んでいた動物や人間も一瞬にしてほぼ全滅してしまったでしょう。恐ろしいことです。

鳥海山の埋もれ木は従来はスギが多かったのですが、今回のIC工事でみつかった埋もれ木はスギはすくなく、ケヤキ・ナラ・クリといった落葉広葉樹が大部分だったようです。縄文晩期の当地の植生がどうだったかの手がかりにもなりそうです。ただし発見場所の地形などからの推定では、その埋もれ木はもともとそこに生えていたのではなく、上部から流されてきて谷間に集まったもののようです。

埋もれ木にはポリフェノールが多く含まれ、それが土中の鉄分と反応することによって黒っぽく変色することが普通にある。とくにナラやクリは墨のように真っ黒になることも。また、鳥海山の場合は一瞬で土砂に埋没したために木部の組織構造はそれほどダメージを受けておらず、乾燥による収縮変形や強度特性も、他の埋もれ木にくらべあまり劣化していない。つまり埋もれ木細工としての活用はまずまず可能のようです。

おもしろいのは年代年輪法です。樹木の年輪の幅を細かく調べデータを多数重ねていくことで得られる「標準年輪曲線」と対照することによって、埋没材や考古材・建築材などの古い木材の年齢を1年単位で正確に特定できることです。さらにそれらを調べることによって古い時代の気候を推定復元することもできるということです。

以上のさまざまな意味合いにおいて、鳥海山麓から産出する埋もれ木は希有かつ非常に貴重な材料であることはまちがいなく、今後さらに詳しい調査研究が必要ということでした。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA