シテ句会 2015.11.18

 

奇数月の第3水曜日に開催しているシテ句会です。『シテ』は現代詩や俳句や短歌などの短詩系文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、有志および外部の者による句会も行っています。場所は酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店にて、午後6時半〜9時。

今回の参加者は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・南悠一・加藤明子(出句のみ)、それに今回は見学というDEさんの7名です。事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群(第一幕・第二幕)の中からおのおのが2句ずつ選びます。その句を取った弁、あるいは取らなかった弁をみなで述べ評し合ったあとで、はじめて作者名が明かされます。こうしたやり方は他の句会でもほぼ同じで、先入観を排しできるだけ忌憚のない批評・意見を出してもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。遠慮のない辛口批評を含みます。異論反論もあると思いますし、コメントいただけたら幸いです。では第一幕から。(頭の数字は得点)

2 秋の星遠く散りぬる花火かな
0 石畳花の都に紅葉散る
3 父の竿握りて父のハゼを釣る
2 みずあかり百葉箱にしぐれ過ぐ
1 梨園に泣き果てる子のあたたかし
4 落葉路風とみまごう蜘蛛の糸
2 桐一葉フォッサマグナの上にかな

最高点4点句は<落葉路〜>です。秋の陽に蜘蛛の横向きの長い糸が輝いて、それがまるで見えないはずの風を可視化しているようだという着眼点はたいへんおもしろいと思います。私も取りました。ただ「風とみまごう」とせずに風であると言い切ってしまう手もあります。それから、蜘蛛の糸は通常は夏の季語とされているので、伝統的俳句観を墨守される方からは季語のちぐはぐさを指摘されるかもしれません。また落葉路は表記としては落葉道のほうが適当かと思います。作者は今井富世さん。

この句とは直接は関係ありませんが、落葉が歳時記では冬の季語とされているのは、私にはかなり抵抗があります。当地のような雪国では、葉が散っているうちはまだ秋で、葉がみな落ちて樹々が裸木になる頃には雪が地面をおおってしまうのが普通だからです。そうなればもちろんもうまぎれもない冬です。落葉の積もった道という景ももちろん一時はあるのですが、それはやはり雪国のイメージではまだ秋(晩秋)ですね。

次点句3点句は<父の竿〜>ですが、おそらくは亡くなられた父上がかつて愛用していた釣り竿をつかって、いつの日か父といっしょに釣ったこともある場所でいま釣りをしているのでしょう。そのあたりの機微を「父のハゼ」と表しているわけですが、自分であからさまに答えを先に出してしまっているきらいがあります。父〜父とせずともおのづからそれを読者に想わせる工夫が必要ではないでしょうか。作者は伊藤志郎さん。(ちなみに私の父親はもっぱらカーバイドを持ってのアユの夜釣りだったこともあって、いっしょに釣りに出かけたことは一度もありません。)

2点句は3句あります。はじめの<秋の星〜>ですが、「遠く散る」をどう解釈したらいいか迷いました。物理的な遠景の花火かとも最初考えたのですが、それだと星とは視線の齟齬があり……。作者の相蘇清太郎さんにればこの花火は追憶の花火であって、その夏の風物や景は過ぎ去ってしまい秋が訪れている。かつて花火が光っていた夜空にはいま星がかがやいている、ということのようです。現実の花火ではなく追憶であれば、秋と夏の季語との同居とはいえないかもしれないという気がしてきました。ただそうだとすると、星はもともと秋の季語なので、上五はもっと練ったほうがいいです。

次の2点句<みずあかり〜>はこれも一読二読してもどうも句意がつかみきれません。みずあかりは普通は池や川面に反射した光が建物の軒先や壁や天井などをほの明るくすることを意味します。建物にかぎらないとしても、要は水面からの反射光ですね。それに対して百葉箱は気温や湿度などをできるだけ正確に測るようにするために通風性のある白い外装で、芝生の上1.5mくらいのところに設置されるのではなかったでしょうか。とすると水あかりとはあまり縁がなさそうです。作者は南悠一さん。

三つ目の2点句は<桐一葉〜>ですが、フォッサマグナは東北日本と西南日本をわける大きな地溝帯のことなので、その巨大な地形の上に桐の葉が一枚落下したということ。これは単に大きなものと小さなものとの対比というだけではありません。「桐一葉」という言葉は古代中国の書『淮南子』の「一葉落ちて天下の秋を知る」からきているからです。天下国家の衰亡の兆しを、季節の推移に重ねてみているという意で、「桐一葉」もしくは「一葉」「一葉落つ」は初秋の季語となっています。むろん当句は現在の日本の地震・噴火の頻発や政治経済の混迷状態をも背景としています。作者は私です。

1点句<梨園に〜>は、だれがいつどこでなにをどうしてどうなったという5W1H的散文そのままのため、かえって趣をそいでいるといえます。さかんに泣いていた子供もいまはもう泣き止んで、抱いたらぬくもりが感じられたということですが、上五が梨園でいいのかどうか、下五で「あたたかし」まで言う必要があるのかどうかは推敲されるべきでしょう。作者は大場昭子さん。

<石畳〜>の句には点が入りませんでした。作者=加藤明子さんは先日のパリのテロ事件のことを詠んだらしいのですが、たぶんそれはまったく読み手には伝わりません。石畳+都+紅葉とくればむしろ日本的伝統的情緒そのままの常套的な表現となってしまいます。

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さて第二幕です。

1 きっぱりと衣かえたり橅の森
2 雲ゆたかゆっくり翳る刈田あと
3 十二支に選ばれざるもの日向ぼこ
1 鵙の舌無花果一つまだあるよ
1 羊追う犬の背中にひつじ雲
2 参道を帰りは急ぎし七五三
4 白鳥を描く子の空あおく澄み

最高点4点句は最後の句<白鳥を〜>です。当地にも白鳥はたくさん飛来し、とくに最上川河口は国内有数の規模です。写真を撮ったり絵を描いたりしている人もよく見かけます。この句では小学校の授業かなにかで子供たちが白鳥の絵を描いているのでしょう。その絵には白鳥のさまざまな姿と青空が描かれているのですが、それをまた誰かが(自分が)遠くからみなひとまとまりのものとして眺めている。視点は二重になっていて、そこがいいですね。「あおく」とひらがなにしたのも効果的です。中七でいったん切れることで、それがよくわかります。私も取りました。作者は伊藤志郎さん。

次点3点句は<十二支に〜>の句です。十二支は日本ではネズミ・ウシ・トラ・ウサギ・リュウ・ヘビ・ウマ・ヒツジ・サル・ニワトリ・イヌ・イノシシというラインナップですが、身近な動物なのにこれに入っておらず、かついかにも日向ぼっこをしてそうなものといえばまずネコがあげられます。ほかにタヌキとかキツネとかシカとか。つまり十二支に「選ばれていない」ということによってある特定の動物だけではないさまざまな動物を読者に想起させています。もちろん先述の動物がなぜ十二支に選ばれたのかということも。作者は私です。

2点句は2句あり、まず<雲ゆたか〜>ですが、稲刈りが終わった田んぼの上に、雲の影がいくつも落ちています。積雲かなにかでしょうね。空をゆっくりと流れていくのですが、それは収穫が無事に終わった安堵の気持ちとも相呼応しているようです。「ゆたか」「ゆっくり」と韻を踏んだ言葉を用いることでそれが明らかになります。作者は大場昭子さん。

もう一つの2点句<参道を〜>は、やや常套的。多忙な生活の中での七五三参りのためでしょうか、帰りは足早になっているようです。が、それだけでは当たり前で俗的で、情趣に欠けます。作者は加藤明子さん。

1点句は3句。<きっぱりと〜>ですが、葉をみな落として裸木ばかりになったブナの林のことを詠んでいるようですが、衣替えは夏の季語であるというのと、落葉広葉樹の場合は逆に晩秋から初冬にいかにも寒そうな姿になってしまいます。衣を替えるというよりは衣を脱いでしまうという感じです。もしも黄葉を詠んでいるのだとしてもそれは徐々にすすみ、また個体差もかなりあるので、きっぱりという雰囲気はありません。作者は今井富世さん。

<鵙の舌〜>は私にはよくわかりませんでした。作者=相蘇清太郎さんからは、加藤楸邨の鵙の句を、とりわけ俳人の金子兜太の出征に手向けた<鵙の舌焔のごとく征かんとす>という句を下敷きにしているとの説明がありました。う〜ん、読者はそこまではぜんぜんわかりません。金子兜太は高名かつ現役の俳人ですが、よく膾炙される代表的な句へのオマージュ(hommage)ならいざしらず。むろん言うまでもなくある有名な句を暗にふまえて作句するのはよくある方法ですが、読み手がその元の句をまったく知らなくとも観賞に耐えうるだけの強度が必要でしょう。

<羊追う〜>は、さきほどの<白鳥を〜>の句と同様の構図を持つ句。羊の群れと牧羊犬とひつじ雲が浮かんでいる空との広大な景です。ただこのままでは作為的であり羊+ひつじ雲でくどい感じがするので、中七を「犬の背中や」としていったん切ったらどうでしょうかね。作者は南悠一さん。

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句会がいちおう終わったあとに、私のほうから参考資料として、今年度(H27年度)の現代俳句協会の現代俳句新人賞を受けた山岸由佳さんと瀬戸優理子さんの受賞作各30句のコピーを配布しました。

総じてはライトバース的な句が多いのですが<満月の浅瀬は砂を吐きつづけ><冬木発つバス美しく海の底><月光に雪の溶けゆく音を聞き>(山岸由佳)、<それぞれの門をくぐりて夏の果><秋茄子を割れば放心の白さ><鳥引くや手錠のように腕時計>(瀬戸優理子)といった句があります。

 

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