※※ タイトルの入力が先日来うまくいかないので(ブログソフトのバグ?)、とうぶんの間「タイトルなし」とし、本文冒頭に見出しをすこし大きく付けることで代用します。
コーヒーブレーク 6 「池尻」
北風吹くや鷹宙一点にとどまれり
風上に向かってすすむヨットを見ると、その力学的法則を知らないとまるで魔法のようにも思えるが、鷹などの猛禽類が強風の中で風に流されることもなく宙に浮かんで静止しているような光景もときおり見かける。浮力や抗力といった力学バランスがちょうどつりあっているのだろう。/俳句的には「北風」と書いて「きた」ともふつうに読むならわしで、俳句の一応の定型である五七五に納めるために似たような省略形はいろいろあって作句の上では便利ではあるものの、門外漢にはもちろん分からないのが悩むところ。
池口と池尻ありて山眠る
池と沼と湖のちがいは何か? 諸説があり明確な定義はないようだが、おおむね水深が5m以上あり、岸よりに植物は生えているものの中央の深いところには植物がないものを湖。水深1〜5mくらいで中央部にも植物が生えているものを沼。地面にできたあるいは人為的にこしらえた浅いくぼみに水がたまったものが池。……とまあだいたいこんな感じだ。規模的には湖>沼>池、というところか。ただし実際には巨大な池や沼があったり、湖とは名ばかりの小さなものがあるなど実状はさまざまで、地図等への記名も上記の「定義」にかかわらず現実に呼ばれている名前がしるされているそうな。/で、池である。閉じた池や沼というのは少なく、たいてい流入する川があり流出する川がある。水が池・沼に入る部分が口で、池・沼から水が出ていくところが尻(穴)ということで、ならば池や沼は胴体であり胃袋や腸か。まあ「山眠る」ということば自体がすでに俳句では冬の季語ということになっているので、二重の擬人化ではある。そういえば池口さんや沼口さんという名字の人は珍しくないし、池尻という地名もあちこちにあるが、さすがに池尻さんとか沼尻さんはあまり見かけませんなあ。やはりちょっと品に欠けるということか。
天国の底がはがれてぼたん雪
牡丹の花びらのような大きな雪辺は、多数の雪の結晶がくっつきあったものである。しかし団子のような塊となるのではなく、横向きに付着しあって薄片のようになるのはどうしてなのか。まるでスカイダイビングの編隊のメンバー同士が手をつなぎあって大きな円陣を組んでいるようではないか。もっとも「ぼたん雪」は「ぼた雪」であって、重そうにぼたぼたと音を立てて降るようだからという主張もある。現実的にはそのほうが合っているとは思うが、やはりそれではあまりに即物的で面白みに欠けるということだろう。