8月13日の朝日小学生新聞に載っていた俳句です。全国の小学1〜6年生から投稿された俳句を、3人の選者が7句ずつ選んで載せているのですが、それぞれ第1句と第7句だけ抜き書きしてみます。
しなやかな体でにげるとかげかな (2年・久保田雄大)
急な雨入道尾雲はあったっけ (5年・甲斐田碧)
ひまわりが上から目線こわいなあ (4年・村上そわか)
運動し雨降るみたいに汗をかく (6年・実政樹)
すいかわりねらってねらってぼうをふる (2年・高橋恭)
玉ねぎ切るこれは汗かな涙かな (6年・中林瑞貴)
率直に言ってこれは俳句とはいいがたいと思います。俳句ではないなにかです。俳句は基本として5・7・5音からなる短かい詩ですが、むろん文学の一世界なので詩的創造性が求められます。しかし上の句のどこにそれがあるでしょうか? 少なくとも私には露ほども感じることができません。あまりにも当然で普通でありふれたことをただそのままに「5・7・5の形にしただけ」です。
俳句はその短さゆえに数ある文学ジャンルのなかでも小学生や中学生などの子どもでも比較的簡単に取り組めると思われているようです。いやむしろ俳句の態をなしていない程度の低い作品が「子どもらしいすてきな感性だ」などと賞賛されることも珍しくありません。
しかし俳句は短いがゆえに取り組みやすいのではなく、逆に短いがために言葉の精緻さや練度が極限まで要求され、たった17音で表現しなければならないという厳しい制約が科せられたとても難しい詩形式です。言葉が足りないと思えばいくらでも書き足せばいい一般的な詩とは異なります。したがって子どもでもなんとかなり時にはそれこそ大人以上にすばらしい作品を産み出すこともある詩とは根本的に異なります。むろん例外中の例外はあるかもしれませんし、天才的な年少の俳人が絶対にいないとは断言できませんが、その可能性はかぎりなくゼロにちかいでしょう。
言うまでもなく、子どもたちが俳句に興味関心をもち、その形式をなぞってみることを否定するものではありません。「俳句のようなもの」として一定の評価をあたえてもいいと思います。あくまでも「俳句のようなもの」としてです。そのうち俳句のほんとうの難しさに気づいてくれればしめたものです。ひょっとしたら1000人に一人くらいは俳句の門を開けて中に入るかもしれませんし。
けれども小学生向けの新聞とはいえ全国紙で子どもたちの俳句を募集し、紙面に掲載し評釈するというのは無理がありすぎるように思います。当人だけでなく保護者や教師などにも俳句に対する無理解と誤解とを広めるだけのような気がしてなりません。