山形県酒田市の佐藤要さん(佐藤要写真事務所 tel 0234−23−3533)が発行しているA5判36頁ほどの冊子ですが、タイトルおよび「みちのくの山懐から」という副題が示すように東北地方の登山やハイキングや山岳にまつわる話題を載せた雑誌です。季刊くらいの間隔で出されているのでしょうか、すでに13号を数えています。定価は500円。
小誌ながら中身はたいへん濃いです。佐藤要さん自身が登山家であり写真家ですが、今回執筆の8名の方もそれぞれ熱烈な山岳愛好家。今号の記事で私がとくに惹かれたのは坂本俊亮「安楽城の怪峰・難峰」です。
山形県北部の現在の真室川町は1956年に安楽城(あらき)と及位(のぞき)のふたつの村が合併してできた町ですが、旧安楽城村は北に丁(ひのと)山地、東に弁慶山地をかかえています。両山地ともに標高は1000m前後ながら随所に険しい岩稜岩壁と深い谷を成し、登路はごくわずかしかなく山小屋は皆無です。近隣の鳥海山などに比べれば来訪者も雲泥の差。その存在すらよほど山に詳しい人でなければ知られていませんし、まして実際に登ったことのある人はかなり限られているでしょう。私自身も丁山地は主峰の丁岳(1146)、加無山(997)しか登ったことがありませんし、弁慶山地東面では弁慶山(887)と八森(799)くらいです。西面は二ツ山(937)・納屋森(920)・薬師森(668)・経ケ蔵山(474)・猪ノ鼻岳(約810)・胎蔵山(729)といったところ。
ただでさえ登る人の少ない丁山地で、しかも今回の号に載っていたのは雁唐山(1045)と影丁岳(987)と石蓋狩山(772)ですから、これはなめるように読むしかありません。影丁岳なる名前がいつごろ付いたのか知りませんが、丁岳への唯一のまともな登山道ともいえる秋田県側からの登路をたどって丁岳に登頂し、やれやれと思いつつ南西方面(山形県側)を眺めわたすと、明神沢の険谷の向こうに見える三角錐が影丁岳です。みごとな岩峰ですね。
じつは私もずっと昔、高校山岳部の頃ですが、明神沢を遡行して丁岳の直下まで至りながらも日没で時間切れ。増水の心配もあったので影丁岳(当時は無名峰)側の斜面途中のわずかな平坦地でビバークしたことがあります。翌日はスラブをなんとか登攀して稜線に出、そのまま丁岳に登頂するつもりだったのですが、途中のキレットに行く手を阻まれて断念。結局ふたたび明神沢に戻り対岸の急斜面を登行して丁岳頂上にたどりついた経験があります。当初の計画では県境稜線を東に縦走して甑山(981)あたりまで行くはずだったのですが、まったく無理でしたね。下の写真は2004年5月2日に丁岳頂上から私が撮影したものですが、これを見るたびに当時の惨憺たる山行を思い出します。写真中央の黒い垂壁が突破できなかったキレットの箇所です。右側の三角峰が影丁岳で、左側奥には弁慶山〜八森の馬蹄形障壁が青白くのぞいています。
十数年前に真室川町によって高坂ダムのほうから石蓋狩山の懐経由で尾根伝いに丁岳に至る登山道が開かれたそうですが、依然として上級者向きの難コースのようです。往復で十時間ほどかかり、ザイル等の携行も必須だそう。一度行ってみたい気はしますが、一人ではちょっと無理かな。こんなコースではもしなにかアクシデントがあっても救助もままなりません。ほかにも丁山地では甑山や萱森・有沢山など興味深い山がたくさんあるのですが、はたしてこれから実際に登ることができるかどうか。
今号では三浦孝子「早春の弁慶山」、多羽田啓子「佐渡 アオネバ渓谷 花の谷」も良かったです。