6月28日に始まった鳥海山・飛島ジオパーク構想の「ジオガイド養成講座」も今回=10月4日で9回目を迎えました。場所はにかほ市の象潟構造改善センターで、午前・午後も座学です。
(※ 諸般の事情によりご紹介がなんと1ヶ月以上も遅れてしまいました。もうしわけありません)
まずは秋田県民俗学会の副会長である齋藤壽胤氏による「鳥海山・飛島のくらしと文化について」です。私は人文的なことは、自然そのもののあれこれに比べるとだいぶ興味関心が薄いので、以下印象に残ったお話をいくつかトピック的に記すにとどめます。
●まず「鳥海山」が初めて文字として登場するのは1314年で、大物忌神社の鰐口にきざまれている。(→しかし鳥海山のその他の名称については言及なしなので、その変遷と意味合いは?)
●まん丸の自然石を御神体として祠にまつっている例が、鳥海山の北側には多数ある。玉は魂。畑から出土した例もあるが、これらの丸石は溶岩が起源。(→元が溶岩なのはその通りだが、それだけではまん丸な石にはならない。河川の流水で激しくもまれないと。)
●鳥海山には古来より薬草を求めて山伏や学者(本草学)が来訪した。「味噌の蓋」という、仕込んだ味噌が夏期に腐らないように山中の某所から採取した大きな葉で覆った。植物名は不明。
●獅子舞の演目の中に「博打舞」がある。それは博打が運に左右される、つまり神が結果を司るかららしい。
●山形・秋田の県境の三崎は本来は神崎(みさき)のことであり、先の尖ったものやところ=山頂や大木天辺や海岸突出部分など、に神がやどるからである。
●鳥海山は海の神様でもある。山立の目印としたり、鳥海講で飛島の民が山頂にお参りもした。その際のおみやげは本来は「宮下」であり、魂の分配という意味である。
●飛島と本土とは、物々交換による交流交易がさかんに行われていた。たとえば秋田県沿岸の下浜集落と、飛島の法木集落とは、春舟・秋舟等によって海産物と米の交換や、飛島の丸石が下浜の建物の土台石として運ばれた、等々。
●悪をもって悪を制する。ナマハゲもそのひとつか。
●岩礁の多い飛島ではオモキ作りの船が基本だった。秋田杉などの丸太をくりぬいた材を同厚程度の板で接合して船にしたもの。
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午後からは秋田大学 教育文化学部 地学研究室 准教授の本谷研氏による「鳥海山の雪の話」です。私自身が鳥海山に長年よく登っていることや湧水を調べていることもあり、前から期待していた講義でしたが、予想にたがわず非常におもしろかったです(雪面のスプーンカットの謎も解けました)。
●日本のとくに北海道〜東北〜山陰にかけての日本海側は、世界的にみても多雪地帯である。秋田の場合で年間降水量1700mmのうち400〜600mmは雪。モスクワの降水量が600mm/年なので、秋田県では雪だけでそれと同じくらい降る。多雪地帯なのに人がたくさん住んでいることも特徴。
●冬の日本海は対馬海流の影響で冬でもわりに暖かい。それが大陸の「乾いたつめたい風」を「湿ったつめたい風」にかえ(気団変質)、日本列島に大量の降雪をもたらす。
●天気図で高気圧の等高線が縦一線の場合は山雪型、日本海で急に折れ曲がっている場合は里雪型。後者は上空に寒気が入ってくるため。
●鳥海山は越年生の雪渓がたいへん多く、一説には小氷河の存在も(認めない学者もいるが)。
●ブナは湿潤な気候を好むが、雪と密接な関わりがある。ブナの分布と積雪量の分布とはきれいに重なり、およそ積雪1m以上のところにブナが多い。
●氷河期になると陸上の氷床が発達し、海水が減る。約12000〜13000年前の最終氷期には海水面が今より100m以上低かった。対馬海流の流入が減るのでよけいに日本列島は寒冷&乾燥化した。この頃の東北日本海側には現在のようなブナ林はなかった。
●雪が白いということは、熱をよく反射する。氷は透明なのに雪が白く見えるのは、雪が氷と空気との多層構造になっていて光を多重反射するから。雪の結晶の複雑な形自体も多重反射を強める。
●締まり雪はひっぱり力に強いので、融雪時に樹木やガードレールなどを曲げてしまう。雪による応力(沈降流・ドラフト)。
●樹木の融雪穴=根開きは、樹木が日射であたたまり大気を暖めるので融雪を促進する。色の黒い木と白い木によっても融雪のプロセスは異なる。
●日本のような季節積雪は場所や年ごとの変動が大きいが、長期的な見通しは難しい。地球温暖化がすすめばブナはほとんど駆逐されてしまうだろう。
●雪面のスプーンカット(融雪多角形)は湿度が高く風のある日に最もよく形成される。風の乱流、渦の大きさでカット面の大きさがきまる。