村上鞆彦(むらかみ ともひこ)という方の句集『遅日の岸』です。著者略歴をみると1979年生まれとありますので、現在36歳くらいでしょうか。俳句の場合、50歳くらいでも若いといわれるので(それだけ年齢構成が高い)、これはほんとうに若手の俳人ですね。むろん年齢などじつはどうでもいいのですが、鷲谷菜々子・山上樹実夫に師事し、津川絵里子氏と共宰のかたちで「南風」の主宰&編集長をつとめているので、ばりばりの実力俳人といっていいでしょう。
この人の句は当ブログの7月21日の記事の終わりのほうで、<夏蝶の踏みたる花のしづみけり>という佳句を紹介しましたが、この一句でもわかるように、伝統的形式に沿い題材もごく一般的でありながらも、独特で繊細な視点をすでに確保しています。
本句集は2015年4月にふらんす堂から出版。中学生の頃から35歳までの作品から325句を自選してまとめた第一句集とのこと。年代順に並んでいるのですが、共感した句や佳句と思う句を抜き出してみました。
月の夜の大きな橋と出会ひけり
枯蓮の上に星座の組まれけり
汲み戻る清水の壜のくもりけり
あをぞらをしづかにながす冬木かな
街灯下寒の轍の殺到す
捧げゆくものかがやけり蟻の道
投げ出して足遠くある暮春かな
流れつつ群れを解く雲日短か
踏切の音に火のつく枯野かな
ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり
鯉病めり雪はひたすら水に消え
五月雨や掃けば飛びたつ畳の蛾
秋の雲いくつ流れてシャツ乾く
東京を出てゆく川や日短か
驚きのひろがりてゆく蝌蚪の群
冷ややかに白波は沖ふりむかず
目をとぢてまぶたのぬくき桜かな
松の影ゆれて松風蟻の道
笹鳴きの止みたる笹の葉擦れかな
寒月や踏みやぶりたる水たまり
早春やエレベーターを空より待つ
衣更へて駅の鏡のなか通る
末枯や傘にあつまる雨の音
鳩は歩み雀は跳ねて草萌ゆる
十薬の花いつせいにわれを見る
安定した詠みぶりで、粒がそろっていて選ぶのに苦労するほど。上には25句あげましたが、この他にもいい句がたくさんあります。特別な言葉やスタイルを援用せずとも、今まであまり詠まれることのなかった非常に微妙な景や感覚をうまく表現しています。
ただ、3度ほど全体を読み通してみて感じたこともあります。ひとつは上の25句にも頻出するように「や・かな・けり」という切れ字が目立つことです。もちろん氏の手元の句は今回句集にまとめたものの一桁以上多いと思いますし、結果的にそうなってしまったとも考えられますが、これほど切れ字が多いといささか気にかかってきました。
二つ目は矛盾するようですが、この句集が50年くらい前のものである、戦前のものであるなどと言われてもつい納得してしまうほど、「普遍的」であり「恒常的」であることです。時代がかわっても社会がかわってもなんら変わることのない事象はむろんたくさんあり、それを詠んでいくことはとてもだいじなのですが、そればかりでは現代のこの日本という国、あるいは地球に生きている切実さが希薄になります。この句集だけでは作者はいつの時代のどういう社会に生きているのかわかりません。
普遍的なものを詠みつつ、もう片方では現代のリアルをも詠み込んでいきたいという私の指向に引きつけてしまっているとは思いますし、氏の句集にそれを求めるのは「ないものねだり」かもしれませんが、その点ではすこし物足りないと感じました。