コーヒーブレーク 53 「草木塔」

 

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大猫や鎮守の杜は毛を増やし

野山の緑がだいぶ濃くなってきた。もはや新緑の段階をすぎて夏盛りの景観である。それは平野部に点在する鎮守の杜(森)も同様で、ケヤキなどの高木の間から社がはっきりと見えていたのに、今はうっそうと生い茂った高木や中低木、灌木や草類にすっかりおおわれて、暗緑色の塊となっている。もはやその中に神社があることもわからないくらいに。/鎮守の杜は、その規模が大きく何百年あるいはそれ以上の昔から存在する場合は、その地域の本来の自然植生がかなりの程度に保持されている場合がある。いや、古神道の世界観からすれば本殿や拝殿などの建築物はむしろ副次的なものであって、複雑で芳醇・多様な自然=森や巨石や川や山こそはそれ自体がすでに神であり信仰の対象そのものであった。したがって、社は立派なのにその周りの森などがどんどん縮小伐採されてしまうといった事態は、まったく本末転倒というべきであろう。残すべきは社ではなく杜なのだ。

地底王国に瞬時の日差し夏至

一年で昼がいちばん長い日、それが夏至である。今年2015年の夏至は6月22日であるが、太陽の運行と暦とは完全には一致しないので、年によっては6月23日や22日・20日が夏至となることもあるようだ。いちおうの定めとしては、西暦が4の倍数年であるうるう年を基準とし、それ以外の年(365日)の4で割った余りが毎年蓄積され、うるう年でリセットされる、ということらしい。/またこの日は太陽の南中高度がもっとも高くなる日でもあるので、その一瞬間だけ直射光が届くように計算された建造物も、昔からいろいろある。まだ地動説も唱えられず宇宙のしくみもほとんどわからないながら、ただ経験則で一年で一回だけ光が届く場所や物があるのだということを、太古から人間は知っていたわけだ。

蟻の眼に草木塔の過ぎゆけり

草木塔は自然の木や草の命をだいじなものと想い、その命を供養するための碑や塔のこと。多くは自然石に「草木塔」「草木供養塔」「山川草木悉皆皆成仏」といった文言が刻まれている。全国で160基以上の碑があるというが、草木塔については山形県内がいちばん多く、32基が確認されている。/獣などの動物の命を供養する碑は珍しくないが、それはやはり人間に近い生き物だからだろう。血を流し叫びをあげ病に苦しむ動物の姿は、わが身のことのように切なく痛ましいものとして共感される。それに対して樹木や草といった植物は、同じ生き物ながら人間とは姿形や生の仕組みがまったくといっていいほどに異なるので、動物ほどには感情移入はしにくい。草花を愛でるとはいっても、稲刈りや草刈り、植林された杉などの伐採に悲痛な思いをいだく人は稀である。/ベジタリアンも野菜や穀物や果物の命はとうぜんながらいただくわけだが(そうしないと自分が生きていけない)、動物の命と植物その他の命とに対する態度のあまりの落差には私はいささか違和感を覚える。もちろん個人としてはベジタリアンでもなんでもいいのだが、それが絶対的な正義であるかのように主張されるのはね。

 

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