車道にぶちまけて狸は礫死体
前回のコーヒーブレーク40では「狸がひとつ落ちている国道七号線」という句をあげたが、そちらは一見したところ落とし物のような、無傷ともみえる狸の礫死体。それに対してこちらは、潰されてめちゃくちゃになった、酸鼻な礫死体である。
節分や滝の氷の太々と
節分は立春の前日のことで、新暦では2月3日頃にあたる。この日をもって冬と春の境目という意味なのだが、他の地域であればともかく当地では「まったく何をほざいてんだか!」である。例えばだが、上の写真はデータをみると2月19日の撮影とある。鳥海山の中腹にある二ノ滝の凍結した姿であって、これより早くとも遅くともこんなに見事なアイスフォールになることはない。この沢(月山沢)には冬期間でも湧水が流れ込んでいるのだが、二ノ滝があるあたりでの湧水量はそれほど多くはないので、寒気に負けて落水が凍結してしまうのである。すなわち一年でいちばん寒い時期がこの頃ということだ。春到来であるわけがなかろう。/俳句歳時記は結局のところ京都あたりの地方の、特権階級の美意識を根底にしているので、そこから北であれ南であれ遠く離れた地方や、一般庶民の季節の実感とはそうとうかけ離れている。それを理解したうえでひとつの参考にするのはかまわないが、金科玉条のごとく絶対視してはいけない。
豆撒けばあの世に豆は引かれけり
さて、節分の夜に全国各地で行われたであろう豆撒きである。昔は炒った大豆をそのままばらばらと放ったものだったが、すぐに拾って食べないと美味しくない。とりわけ冬は湿度が高いからだろうが、しけてしまった豆は不味いし、箪笥の下などの狭い隙間に転がり込んでしまった豆は、昔ならそのままネズミの餌になってしまっただろうと思う。/昨今では「衛生上の観点」から床に落ちた食べ物を拾って口にすることも忌避されるようになってしまい、今は大豆のかわりに殻付きの落花生であるとか、小袋に入った豆菓子などが撒かれることも普通になってしまった。あるいは大豆と他のものとの二本立てか。