※※ タイトルの入力が先日来うまくいかないので(ブログソフトのバグ?)、とうぶんの間「タイトルなし」とし、本文冒頭に見出しをすこし大きく付けることで代用とします。
コーヒーブレーク15 「チェレンコフの光」
ふらここの風のいなくて揺れており
「ふらここ」はぶらんこのこと。歳時記などには「中国から来た遊具」とあるが、樹からぶら下がった太めのツタという光景は山林ならどこでも珍しくはないし、それにつかまりぶらさがって揺らして遊ぼうという発想は自然と出てくるだろうから、すこし無理があると思う。ぶらんこはほかに「しゅうせん」(私のワープロソフトでは難しいほうのこれの漢字は出てこない)「秋千」「ふらんと」「半仙戯」などといろいろな呼称があるので、語感やらニュアンスの違いを使い分けると楽しい。/しかし最近できた公園や、古くなった遊具を新しいものに替えた公園などでは、ぶらんこがまったくないところもある。万一の事故の場合の、設置者・管理者の責任をあらかじめ回避しておこうということなのかもしれないが、なんともさびしいことである。
チェレンコフの光たずさえ春時雨
原発事故や放射能被曝などを気にしている方ならチェレンコフ光という言葉をよく耳にしたことがあるだろう。ミクロの世界の現象だが、荷電粒子が物質中を光速よりはやい速度で運動する場合に光を発する現象をチェレンコフ放射またはチェレンコフ効果といい、その光をチェレンコフ光という。その光は青白いそうで、原子炉の蓋を開けた場合などに目撃できるという。また使用済燃料を貯蔵するプールでもうっすらと見ることができ、3.11の原発事故などでは本来ありえない箇所でのその光の発現が報告されている。/春の雨は一般的にはおだやかで静謐なもの情緒豊かなものとされているが、いまやどんな雨にも程度のちがいはあれども放射性物質が含まれているだろうことを心配しなければならなくなった。「春雨に濡れてまいろう」などはとんでもないことだ。
地虫穴を出てまず地虫喰らいけり
高浜虚子の句に<蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな>という句があり、私はいたく気にいっている。虚子はなんだかんだいっても偉大な俳人で、すごいなあと唸ってしまう句はいろいろあるが、この蜘蛛の句もそのひとつだ。蜘蛛のことだから考えるまでもなく本能的に網を張り、獲物がそれにかかればすかさず走りよって糸でぐるぐるまきにして動きを止める。それからやおら体液を吸う。私は別にそうは感じないが、その姿といい生態といいひどく気味がわるいという人は少なくない。/しかしどんな生き物も行きていくために必須なさまざまな手段方法を駆使しているわけで、どれがいいとかわるいとかいうものではない。蜘蛛やカマキリやスズメバチなどの食餌を「残酷な」というのも人間の主観的恣意的なもので、蝶やカブトムシが蜜を吸うのとなんら変わるものではなかろう。植物食の昆虫だって植物を盛大に殺戮している。人間は草木ではないので、それを残酷とは感じないが。