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特注の掛時計

 

 

 

11月2〜9日の個展の際にご注文いただいた特注品の小物のひとつです。直径240mm、厚さ32mmの大きさで、材料はフレーム(外枠)がオニグルミ、フェイス(文字盤)がサワグルミ。時刻の数字は定番の掛時計001と同じく焼き印を押しています。

フレームはいくつかのピースを接合したもの(=通常の市販品ははほぼすべてその作り)ではなく、一枚板を丸く刳りぬいています。しかしただ丸くカットするだけでなくフェイスを裏側から押縁でおさえるために段欠が必要なので、これの加工はあんがい面倒。加工方法はさらなる検討が必要と思いました。

ご注文いただきました酒田市のN.Sさんには感謝申し上げます。こういった機会でもないとなかなかこの種の時計を作ることはありませんので、こちらにとってもいろいろと勉強になりました。N.Sさんからは卓上のミラーもご注文いただいていますが、そちらは年明けになりそうです。いましばらくお待ちください。

 

コーヒーブレーク 94 「いちご飴」

 

 

いちご飴もろうて片目の雪うさぎ

[いちごあめ もろうてかための ゆきうさぎ] 10日ほど前に雪が積もったら、さっそく子供たちが庭に雪だるまを作った。大小の雪玉をこしらえてそれを上下に重ねたオーソドックスな形の雪だるまである。雪だるまにもさまざまなバリエーションがあるが、結局昔ながらの形態のものがいちばんしっくりするように思う。もっと積雪が多くなると、これまた定番のかまくら作りである。/雪うさぎに関してはじつはあまり記憶がない。こちらはむしろ子供の遊びというよりも、大人が来客をもてなすときの遊び心の類いであって、お盆に盛った雪を軽く紡錘形に整え、眼はナンテンなどの赤い木の実で、耳はツバキの葉などで模したものである。たまに雪が降るような土地柄であればこその洒落であって、毎日のように雪かきに追われるような多雪地帯豪雪地帯ではそういう余裕などはないということだろうか。

小さきつらら氷柱より生まれそむ

[ちいさきつらら つららより うまれそむ] 昔ほどには氷柱をみかけなくなったような気がする。氷柱ができるには基本的には一度雪が溶けて水滴になり、それがまた冷気にさらされてすぐに凍るという条件がないといけない。屋根などに積もった雪が寒気がきびしくてずっと凍結したままではそもそもだめであり、気温がゆるみすぎて溶けて流れ出した水が再凍結することなくそのまま地面に落ちてしまってもいけない。そうするとここ庄内平野のように冬場の最低気温がすこしマイナスになるものの、日中はわずかにプラスに転ずることが珍しくないという気象条件こそが、氷柱ができる最適の条件であるのかもしれない。/しかし、氷柱を以前ほどには見かけなくなったということは、やはり全体的に温暖化(気候変動)が進行しているということか。

小春日やバーベルがわりに猫をあげ

[こはるびや ばーべるがわりに ねこをあげ] 今年の8月19日に永眠したトントは体重5kgほどもある大柄な猫で、またとてもおとなしい性格だったので、私や家族の者からはほとんどなにをされてもされるがまま。もちろんだからといって決していじめたりはしなかったが、抱っこもおんぶも膝乗せ肩乗せも嫌がることはなく、むしろごろごろと大きく喉をならすし、自分から「抱っこして〜」と要求することもよくあった。ときどきバーベルのように持ち上げたりもしたが、体がぐんにゃりしているので、両手で重量挙げのようなあんばいで持ち上げないと落としてしまうおそれがあった。トントの健在だった頃の写真をみるとたいそう切なくなる。

 

やや大きめの掛時計001、完成

 

直径21センチのやや大きめの掛時計001が完成しました。もともとは家具のお得意先から「時計は作らないの?」と言われて、それで当工房としてははじめて作った時計でした。どうせ作るなら定番化できるようなしっかりしたデザインのものにしようと考えて、試行錯誤しながらこしらえたものです。

世の中にはいわゆる「手作りの時計」がたくさんありますし、たいていの木工家は時計を手がけています。しかしほとんどの時計がパターン化していて、できあいの時計を板にはめこんだだけか、時刻の数字の部分がプリントであったりただ丸棒を埋め込んだだけというものが圧倒的に多いですね。もちろん素人ならいざしらず、まともな木工家であればそれなりにいろいろな工夫をこらしているはずですが、印象としてはどうも「日曜工作」っぽい。

一方、時計メーカーのような量産ができるわけではないので、製造コストの関係からいうとムーブメントは完成品を仕入れて使うしかできませんし、風防のガラスやアクリルなども少数では非常に高くついてしまい採用は困難です。したがって加工可能な材料や手段はかなり限られてくるのですが、そのなかでいかにスマートなデザイン、オリジナルなデザインができるか。

写真は今回、個展での予約ぶんもあって追加で製作したものですが、みなさまいかがでしょうか?
価格は税込みで14000円(送料は個数にかかわらず一律500円です)

 

 

 

数字の焼き入れ

 

直径210mmのやや大きめの掛時計001を製作中ですが、木地の加工を終わり、焼きごてで1から12までの数字を入れます。数字は特注で以前作ってもらったものですが、銅合金製です。すこし長い柄がそれぞれに溶接してあり、この部分を電熱式のこて本体のソケットに差し込んで熱くします。

焼き入れは一発勝負でやり直しはききませんので、入れる場所を窓状にした型紙を本体に仮止めして、その窓のスペースを横からにらんで焼きごてを押し付けます。平均的な力で、短くもなく長くもなくちょうどいい時間当てるのは難しく、どうしても数字ごとに若干のむらが生じてしまいます。しかし、そこがかえって「手作業」の味が出ていいかなと思っています。もちろん判読に支障があるほどの差があってはだめですが。

 

 

やや大きめの掛時計の製作

 

先月11/2〜8の個展(酒田市の清水屋の画廊)で予約注文をいただいた小物類を何種類か作っていますが、小型の掛け時計と置時計は終わったので、今度はやや大きめの掛時計001を作り始めています。定番製品ですが、在庫切れとなっていました。

直径は21cmあるので、通常の居室・居間ならこれで視認できると思います。もっと大きなサイズをというご希望もあったのですが、無垢の一枚板を丸く削ってこしらえているので、材料のコスト→製品価格を考えると現状では難しいですね。材料は基本はサワグルミ(沢胡桃)にしているのですが、素材の板幅で余分も見込んで「24cm以上の無欠点材」となると調達が至難です。したがって別の材料と別のデザインで今後新しく検討することにします。

さてその掛時計ですが、しばらく寝せておいた板を厚さ25mmに下拵えをして、型板で木取の位置を決め、ボール盤で時針の穴をまずあけ、ついで裏側に倣い型+ルーターでムーブメントが入る穴を掘り込みます。ここまでが下の写真です。

 

裏側にムーブメント用の凹みを開けたら、つぎはバンドソーで仕上がり寸法より1〜2mm大きめに丸くカットします。それを旋盤にセットして外周側面と文字盤=フェイスの凹みを削ります。板厚は25mmですが、裏側に5mmの段差を付けることによって、時計を壁に取り付けたさいにそのぶんの隙間ができ、時計がちょっと浮いているような感じになります。下の写真は、右がバンドソーで丸くカットしたもの。左はそれを旋盤で仕上成形したものです。

ここまでくればあとは手磨きでていねいにサンディングを行ったあと、1〜12までの数字を焼印で押し、塗装し(4回)、ムーブメントと時針と吊金具を取り付ければ完成です。

 

コーヒーブレーク 93 「慢性疲労症候群」

 

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さっきから動かぬひとも日向ぼこ

[さっきから うごかぬひとも ひなたぼこ] すっかり雪模様になってしまった。気温もそろそろマイナス予報が出てきたので、玄関先に置いている鉢植えを室内に入れなければ。植物もしっかりと陽に当てて育てたものは寒さにも強いが、日焼けしないように過保護に育てたものは寒さに弱い。植物の不思議について書かれた新書をこの前読んでいたが、草木が冬に凍害を避けるための工夫として、体内の糖分やビタミンの濃度を高めるというのがった。しかし、実験例として砂糖の水溶液はマイナス2℃くらいでも凍らないと記してあった。えっ、それじゃあマイナス10℃とか20℃にもなる地方の植物がどうして冬を無事に過ごせるのかの説明にはぜんぜんなってないよ、と思った次第でござる。

凍雲を首にまきおり行者岳

[いてぐもを くびにまきおり ぎょうじゃだけ] 鳥海山は2236mの標高をほこる東北随一の高山である。しかも西裾が日本海に没しているので、海抜マイナス数百mから始まる大きな山である。とても目立つ独立峰であり、大昔から参詣のための登山が多かった。したがって山中の各所には神仏等にちなんだような名前がたくさんある。七高山、行者岳、伏拝岳、文珠岳、七五三掛、御苗代、御田ヶ原、御浜、愛宕坂、祓川、賽ノ河原、氷ノ薬師、鳳来山、山ノ神、霊峰、舎利坂、etc。/もっとも私個人は宗教的なことにはほとんど興味関心がないので、それらの名前は無機的な記号のようなものでしかないのだが。

太陽系第三惑星慢性疲労症候群

「たいようけい だいさんわくせい まんせいひろうしょうこうぐん] 太陽系ができてから46億年。宇宙ではいつもどこかで超新星の爆発が起きており、それに起因するガスや塵があり、それが引力によってしだいに凝縮して熱をおび恒星になるという。部屋の隅っこでいつのまにか綿埃がふわふわながらも丸く塊になっているみたいなイメージである。/太陽の寿命は約100億年だそうだからあと55億年くらいは存在することになる。ただし17億5千万年後くらいから膨張をはじめ地球の軌道あたりまで飲み込んでしまうという。したがって地球上のあらゆる生命は太陽の寿命が尽きるずっと前に全滅するだろう。人間は?というと、17億5千万年どころか、あと1万年も保つかどうか怪しいと私は思っている。

 

 牛渡川の箕輪鮭孵化場にて。日本海から今年も多数のサケがあがってきた。スローシャッターで撮ったので、魚影がぶれて抽象絵画のようである。)

 

新しい鳥居

 

 

鳥海山南西面の湧水の滝、胴腹ノ滝ですが、11月下旬だったかに鳥居が新しくなっていました。以前のものより一回り大きいです。材料は杉のようです。「不動尊」という額もかかげられていました。

私は6年ばかり前から湧水等の調査のためにだいたい10日に一遍くらいの間隔で通年、この胴腹ノ滝に通っています。鳥居の前の渓流の表流水(水源は湧水)と気温、胴腹ノ滝の左右の湧水温度と気温、そして胴腹ノ滝の水量の推移をみるための定点撮影です。調査が終わると、自宅と工房の飲料水用に2リットルのペットボトルに十数本胴腹ノ滝の水を汲んで帰ります。

胴腹ノ滝の湧水は硬度が9〜10くらいしかない、たいへんやわらかく雑味のない水で、これでご飯を炊いたり、コーヒーや紅茶をいれるととてもおいしいです。調査は仕事ではなくいわば趣味でやっているだけですが、それでも何年も続けているといろいろなことがわかってきて、おもしろいです。この程度の簡易な調査すら今まで誰もやってなかったんですね(大学の先生がごく短期間実施した例はあります)。


写真は2枚とも12月8日のもの。この時の胴腹ノ滝の湧水温は左右ともに8.6℃でした。お不動様の前の気温は0.8℃なので、湧水の暖かさが心地よいです。

 

小型の時計2種類完成

 

定番の小型の時計2種類が完成しました。ひとつは掛け時計 002で、直径118mm×厚さ22mmのサワグルミ(沢胡桃)製。時刻をあらわす数字のかわりにスリットを12カ所外周に入れています。フエイスはすこし膨らみ。吊り紐は革製で、標準は無着色のヌメ革ですが、赤・深緑・茶・焦茶・黒の革もすこし在庫があったのでそれも一部使ってみました。

小型なのでトイレや洗面脱衣室、キッチンなどに向いていると思います。軽量なので、石膏ボードに細いピンで打って止めるタイプの小さなフックなどでも大丈夫です。
税込価格6500円(送料は個数にかかわらず一律500円)

 

 

もうひとつは置時計 001です。幅94mm×奥行46mm×高さ100mmのウォールナット製。厚板を掘り込んで作っています。仕上げは上記の掛時計002と同じくウレタン艶消塗装。この置時計(卓上時計)は時刻の数字を打刻したあとに白くペイントしています。いくらか膨らみのあるフェイスは後方にすこし傾斜していますが、これは本体の厚みをいかして底面を斜めにカットすることで可能にしています。
税込価格8500円(送料は個数にかかわらず一律500円)

 

2種類ともこのあとパッケージングなどもしなければいけませんので、発売は12月20日頃の予定です。今回作ったのはそれぞれ十数個ですので、ご希望の方はご予約ください。

 

小型置時計製作中なり

 

当工房の定番製品である小型の置時計を作っています。長らく在庫切れとなっていたのですが、先日の個展でご注文をいただきましたので、これを機に十数個製作しているところです。

ウォールナットを用い、仕上がりのサイズは縦・横約10cmのほぼ正方形で、厚みは46mmですが、正面の文字盤が球体の一部を切り取ったような凸面となっているため、それを旋盤で加工します。また裏面はムーブメントがすっぽり入るように深く掘り込みます。

写真の1枚目はムーブメント用の裏側の掘り込みで、型板を当てて所定の径と深さになっているか確認しています。2枚目は、次いで表の文字盤(フェイス)の曲面も切削したものを、バンドソーで仕上+1mmくらいでざっと切断しています。この後に横切丸鋸盤で正確にカットするのですが、最初から円盤状の形のものを丸鋸板で切るのは非常に危険です。

3枚目は基本成形が終わったところですが、置いたときに フェイスがいくらかのけぞるように底面だけすこし傾斜をつけてカットしています。4枚目はサンディングペーパーを180番→240番→320番と各面に手がけをし、各エッジを1mmほど面取りをしたものを塗装しているところです。1回目の下塗(サンディングシーラー)を終えたあとで1〜12までの数字を打刻+ペイントをします。

 

 

 

 

青猫句会 2016.11.23

 

青猫句会11月ぶんです。本来は第三水曜日の16日だったのですが、メンバーの急な事情で1週間延期しました。酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店を借り切って、午後6:30〜9:00に開催。今回の参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤歌音・佐藤や志夫(やは弓+爾)・南悠一、投句のみは土田貴文の各氏で、合わせて9名でした。

句会は其の一と其の二に分けて行われます。参加者は事前に2句を無記名投句、おおむね当季の季語を入れるということになっています。
では其の一から。

1 冬の野を当てなく漂う捨聖
2 日輪の恵みまるごと柿熟るる
2 かざぐるま止まずガリヴァー沖渡る
1 鐘の音の聞く耳持たぬ冬菊よ
1 団栗の独楽と聞き入る静けさや
3 どの木にも風の行方や野分晴
3 小春日やまだ温き壷腿にあり
3 黄落や捨てたきものの捨てどころ
0 空高し実の無き柚子を白くして

得点はばらけました。最高点3点句は3句あります。まず<どの木にも風の行方や野分晴>ですが、強い風が吹き荒れた後の穏やかな晴天。枝葉が風によって折れたり葉が散ったり、あるいは昨今だとゴミがひっかかっていたりするかもしれません。烈風による被害もあるでしょうが、一方では人智を越えた自然を前に一種の開放感もあります。作者は私です。

次の3点句<小春日やまだ温き壷腿にあり>ですが、壷が火葬後の骨を入れる骨壷であることが想像できます。しかし普通は「膝」とするところをわざわざ「腿」とする必然性はとくに感じられませんし、腿にするとどうも妙な意味合いがたちあがってくるような気がして、私は取れませんでした。「小春日」と「温き」の重なりもどうでしょうか? 作者は佐藤や志夫さん。

三つ目の3点句は<黄落や捨てたきものの捨てどころ>です。長い月日の間に身辺に厚くまとってしまったものを、ひとつひとつ外して捨ててしまいたいと思うことがあります。もちろん”断捨離”のように物を捨てる整理するということではありません。意味の取りようによってはかなり深刻な場面になりそうなところを、紅葉ではなく黄葉の明るい落ち葉であることによって救われているようです。私も取りました。作者は大場昭子さんです。

2点句はふたつあります。<日輪の恵みまるごと柿熟るる>は、柿と太陽・お日様との取り合わせはいかにも常識的であり常套的すぎます。別のもっとなにか意外なものによって柿が熟れるのだ、というくらいの独自な発想が必要。作者は佐藤歌音さん。

<かざぐるま止まずガリヴァー沖渡る>は面白い句です。私も取りました。小さくてかわいらしいものと巨人との対比があり、どういう状況なのかよくわからないながらも惹かれるものがあります。ところが作者の南悠一さんによると「かざぐるま」は春の季語ともなっている玩具のかざぐるまのことではなく、海辺に立ち並ぶ風力発電用の巨大な風車のことだそうです。う〜ん、あれをかざぐるまと呼ぶのはちょっと無理なように思いますし、それであれば誤解をまねかないように「風車」としたほうがいいのでは(ただそれだと青猫句会のルールである当季の季語を入れる、に反することになりますが)。

1点句ならびに無得点句については、キンタロー飴、あるいは??ということで、すみませんが省略します。

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其の二にいきます。

2 凍港へおるやおらぬや晩の風
1 愚痴ありき呟きありきなどか秋
2 距てられ霧の中から霧を見る
1 拾ひたる肘の金具や草紅葉
3 冷ややかに甌穴の眼の二三十
1 山ひとつ花束にして山装ふ
3 諄々と血はしづもれて柘榴かな
2 一風に衣ぬぎたる老紅葉
1 夜の秋葉落つる如く風少し

やはり得点はばらけました。最高点の句<冷ややかに甌穴の眼の二三十>は、まずもって「甌穴」のその読みも意味も不明という人が多かったです。海辺や河川の岩の上にあいた丸穴のことで、かめの穴のようだということで甌穴。しかし今は英語でポットホールと説明するほうが一般的なようです。そういう自然にできた穴がいっぱいあってまるで眼のようだというのですから、ちょっと不気味かもしれません。「冷ややか」は秋の季語ですから、水が澄んでいる、空気が透明感があるといったことも背景にあります。作者は私です。

もう一つの3点句<諄々と血はしづもれて柘榴かな>は、各人のザクロに対するイメージによって評がかなり分かれました。鬼子母神伝説にあるような陰惨な流血を連想する人もいれば、私のようにザクロそのものの透明感のある赤い美しい種子を想い浮かべる人も。鎮もれるですから後者でしょうね。私も取りました。作者は南悠一さん。

次点2点句は3句あります。<凍港へおるやおらぬや晩の風>は、なぜ「夜」ではなく「晩」なのか、在・不在は人間なのか風なのか……。私には読み取ることができませんでした。作者は土田貴文さん。今回は投句のみで欠席だったため、作者の弁をきくことはできませんでした。其の一でも同様だったのですが、他者には伝わりにくい表現のしかたで、一考を要すると感じています。

<距てられ霧の中から霧を見る>は暗中模索という様なのでしょうか。霧の中で霧しか見えない……。心情的にはわかるような気がしますが、漠然としており観念的で、まだ詩歌にまで昇華されていないと思います。作者は大場昭子さん。<一風に衣ぬぎたる老紅葉>は、色あせた紅葉が一陣の風でいっきょに散ってしまったということですが、まあそのままですね。作者は今井富世さん。

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今さらいうまでもないことだとは思いますが、自分が感じたこと思ったことを俳句というかたちにして句会で披露するということは、他者にもその思いを伝えたい、わかってほしいということでしょう。誰もわからなくともいいのだということであれば公開する必要はありません。難しいことではありますが、自分の作品を第三者の眼と立場に立って、その表現された十七音だけを手がかりにしてどれだけ読み取れるかという観点でよくよく推敲するべきかと思います。

それから季語ですが、歳時記の記載を絶対視するわけではないものの、あまりにもそれから外れた使用方だと、やはり他者には句意が伝わりません。一句ごとにいちいち歳時記で季語の確認をしてほしいと思います。