1月10日の記事「ティーブレーク」で予告したように、俳句+ミニエッセイ+イメージフォトという形式で、ときどき自作の俳句を披露していきたいと思います。読者に、ふだん俳句を読んだり作ったりされない方も想定しているので、句中の季語や言葉の説明などを含むことがありますが、原則として掲載した俳句そのものの内容的な解説は行いません。俳句というひとつの「文学作品」ですから、読者がどのように受け止めていただいてもかまいません。自由です。ただ忌憚のないご感想や批評などをいただければ句作のはげみにはなりますので、よろしくお願いします。 なお以前のティーブレークがそうだったようにコーヒーブレークは「です・ます」ではなく「だ・である」の口調で書いていきます。またカテゴリーとしては新たに「コーヒーブレーク」を設けました。では、さっそく。
大旦大年の国より着信
大旦(おおあした)は元旦と同じ意味で1月1日のこと、大年(おおとし)は大晦日・大三十日(おおみそか)と同じ。ただどちらも日常の用語としてはすでにほとんど忘れられている。地球は丸いので陽の当たるのは半分だけ。つまり片方が昼ならもう片方は夜であり、暦や時刻は地域や国よってみな異なることになる。ことに日本は極東と呼ばれることからもわかるように、暦の上ではいちばん早く新年を迎えるほうの国のひとつ。したがって、もしメールで「あけましておめでとう」というメッセージが届いたとしても、発信元が欧米などであればむこうはまだ旧年のままということだ。現代社会ならではの情景である。
初空や包帯のように飛行機雲
今とくらべれば数ははるかにすくなかったと思うが、いやだからこそか、子どものころ飛行機が飛んでいれば必ずといっていいほど機影を追っていた。飛行機雲はいつも伴うわけではなく、飛行高度や気温や湿度などのいろいろな条件がそろわないと出現しないらしい。飛行機がとぶような、とりわけ現在のジェット旅客機が往来するような高度1万メートルもの高さは気温がマイナス40度以下といった極低温。ところがこれくらいの高さになると空気は非常にきれいで、水蒸気が水滴と化すために必要な核となるような塵や埃もほとんど存在しないために、水蒸気がもし大量に存在したとしても過冷却の状態になっている。そこへ飛行機がやってきて核となる微粒子を大量にまき散らす、または、機体が空気をかき乱すことによって、水蒸気が水となりさらに氷となることで雲が出現する、ということのようだ。ふ〜ん、なんだ、ゴミがなくてほんとうに清浄無垢な空気の中では雲も雨も雪もできないのか。
その中で吹雪いておりぬ鏡餅
今年はひとつも飾ることがなかったが、両親が健在だった頃は自宅の何カ所かに、また事務所と作業場の何カ所かに鏡餅を飾った。大きいのと小さいのと。丸く平べったく白無地だから鏡。しかしなぜ大小二つの餅を重ねるのかはわからない。単に見栄えの問題かもしれない、と考えていたら、どうも答えは天辺に載せる柑橘類の橙(だいだい)にあるかもしれないことに気づいた。つまり橙は熟しても落下することなく数年間にわたって「代々」の実が枝についたままになる(私は実見したことはないが)。そこから家系代々の長寿と繁栄を祈願したということなのだが、由緒正しい伝統的な習いといってもじつはまじめな根拠というよりは単なる語呂合わせや駄洒落みたいなものが多いですね。
オリンポスマクスウェル山の淑気かな
淑気(しゅくき)は正月のめでたくもおごそかな気分のこと。さて地球でいちばん高い山はエベレストで標高は8850m。以前は8848mといわれていたのだが、最近のより精密な測量によって2mばかり高いことがわかった(とはいってもこの数字はまだインドなどでは正式には認められていないらしい)。では他の星ではどうかというと、火星の最高峰は標高約25000mのオリンポス山、金星の最高峰は標高約11000mのマクスウェル山だ。いずれもエベレストより高く、オリンポスにいたってはなんとエベレストの3倍近い高さ。これは太陽系最大の火山である。日本の最高峰は言うまでもなく富士山(不二山・富嶽とも)だが、高い山というのはそれだけでたしかに無条件に畏敬の念をもよおす。ちなみにオリンポスは裾野直径は550km、山頂のカルデラさえも60×80km×深度3.2kmというとんでもないスケールである。