棚田

 

緑なす一面の稲田。鳥海山の南西麓、遊佐町白井新田地区の水田です。白井新田は200年前に酒井藩によって開田された地区で、標高約200m以下の鳥海山の山裾にあたります。開田の指揮にあたったのが白井矢太夫という人で、その名前を冠して白井新田というわけです。

もちろん最初からこのような凹凸の少ないなだらかな地面であったわけではなく、田の一枚ずつももっと小さく不定形でした。それを長い年月をかけて一様な勾配と、四角く大きな田に変えてきたわけです。田んぼと田んぼの段差こそそれほど大きくはありませんが、これはまぎれもない棚田です。横のやや濃い緑の筋がその法面です。

「棚田」というと転げ落ちるような急斜面に、丸や三角や四角やさまざまな形の田んぼが連なる光景を思い浮かべる人が多いと思いますし、「日本の棚田百選」などに選定されている棚田は、おおむねそのような形の棚田ばかりですね。しかしそれはあまりにも偏った、恣意的でアナクロ的な見方だと思います。田んぼはいうまでもなく人工的施設なので、「外部」からみて絵になる光景ということと、農業としての意味合いや価値とは別物です。

急斜面に不定形の田んぼという、わざわざそういう棚田をよそに探さなくとも、地元にはもっとずっと広大ではるかに整備がすすんだ棚田があります。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA