コーヒーブレーク 104 「羚羊」

 

 

羚羊の現われ出でし雲の底

[かもしかの あらわれいでし くものそこ] カモシカはシカの仲間ではなくウシやヤギなどと同じくウシ科の動物であるそうな。たしかに野生のヤギという感じがする。昔に比べると鳥海山にもカモシカはずいぶん増えたように思う。国の特別天然記念物に指定されていることから狩猟圧が少ない(まったくないわけではない。林業地の食害防止のため例外的に駆除が認められる場合がある)ことが最大の理由であるように思う。/私自身が直接に視認できたのは高瀬峡、鶴間池、元滝だが、足跡ならばかぞえきれないほどごく普通に見かけるようになった。2月に猿穴の偵察に行ったときは、噴火口跡の断崖の縁に真新しいカモシカの足跡がついていた。真冬の雪の断崖の縁に身じろぎもせずに佇むカモシカ。いかにも絵になる光景ではある。

尾根をこえ谷をこえ一本の山桜

[おねをこえやまをこえ いっぽんの やまざくら]桜といえば俳句にはつきものではあるけれど、個人的には他の草木とくらべてとくに強い思い入れはない。あまたある春の花のひとつであって、それ以上でもそれ以下でもない。むろん趣味嗜好は人それぞれでいいので、桜を熱烈に好む人がいてもいっこうにかまわないのだが、他者への押しつけとなると話はちがってくる。手元の歳時記にも「花といえば平安時代以降、桜の花をさすのが一般的である」とあるが、さすがにそれはないよなあ、とんでもないよなあと思う。一般にとはいったい誰のことをさしているのか? ありていに言って、俳句が五七五音という極度に短い詩形式であるための、その中にちゃちゃっと納めるための方便であろう。花盛り、花過ぎ、花明かり、花の雨、花便り、花の宿、花月夜、花影、etc。ほら、簡単でしょう。これらの季語を使うとそれだけでなんとなく俳句ができたような気になってしまうもんね。

驚天動地と思うべし青き踏む

[きょうてんどうちと おもうべし あおきふむ]山野に花がたくさん咲き乱れている。それこそ足の踏み場もないほど。しかしそこを通らないと目的の場所に行き着くことができない。それでできるだけ花の密度のすくないところを選んで歩きはするのだが、それでも相当数の花を踏んづけてしまう。しかしいま目にはっきりと見えている花をみなよけることができたとしても、そのよけた足で別の小さな花や草や苔や虫や微生物をふんでしまう。

 

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