爽やかや道なべて弓なりであり
地球が丸いということは、案外ずっと昔から多くの人々が感じていたのではなかろうか。とりわけ海では、遠くの舟や島が沈んで見えていたものが近づくにつれ浮上してくるように見えるということは、地球が(海が)もしまったき平面であるならばありえない視覚だからである。海上でなくとも陸地から大海原を見渡したときも、左右に広がる水平線がわずかながら弧をえがいていることはわかる。/しかしもし球体であるとしてもそれがどれくらいの大きさであるのかまでは、おいそれとはわからない。それを実証しようとすれば、原理的には緯度の異なる二つの地点における南中時の太陽の角度を測り、それをもとに地球の半径を推計する方法がまず考えられる。実際に紀元前200年くらい前にすでにギリシャのエラトステネスという人がこの方法で計測し計算したところ、実際の大きさに対し誤差10%ほどの値を得ているという。2000年以上も前に地球がほぼ球体であることや、10%くらいの誤差でその大きさを知っていたとは驚きである。
秋色にたたずめり行者岳文殊岳
鳥海山は大昔から山岳信仰の対象であった。とくに何々宗教というのではなくとも、ときおり火を揚げ白雪をかかげ雲をまとう巨体を、人間や獣などとはまったく異なる偉大な存在=神としてとらえたのはごく自然な精神のありようであっただろう。そしてまた私個人としてはそれで十分であって、仏教だのキリスト教だのイスラム教だのといった世俗的にして利権的な宗教団体に帰属転化することには強い抵抗を覚える。/しかしそのことはここではいちおう脇においておくとして、仏教的には鳥海山の本尊は薬師如来であり、その左脇侍が日光菩薩、右脇侍が月光菩薩。これは「薬師三尊」という仏像安置形式のひとつであるが、鳥海山南面の山形県庄内地方の場合を考えると、鳥海山から流れ出す川は二本あり、左側に位置する河川が日向川、右側に位置する河川が月光川であるのはこのためである。現在の日向川はもともとは日光川であったと思うが、なぜ日光が日向にかわったのかはよくわからない。なお上記の右・左は中尊=薬師=頂上からみての右・左であって、麓から眺めての右・左とは逆であることに注意。
川北といい川南といい最上川
最上川は流路延長229km、ひとつの都道府県を流れる川としては日本最大の河川である。流域面積は7040km^2、山形県のおよそ75%を潤しており、日本三大急流のひとつに数えられている。さてこれだけ大きな川なので、昔であれば対岸にわたること自体がすでに容易なことではなかったろう。橋をかけるには大きすぎるので、基本的には川船による渡しに頼ることになるが、それとて水かさが多いときや強風・吹雪・大雨などの悪天候時にはきわめて危険である。しばしば運航中止になったと思われる。/したがって最上川をはさんで北の地と南側の地とは気風や文化や政治にいろいろと異なる面があり対抗する面がある。北の中心地である酒田市は北前船時代からの商業中心の町、南側の中心地である鶴岡市は江戸時代の酒井藩の城下町として栄えてきたという経緯もある。/しかしだ、地域人口が急速に減少し、半面交通や情報や経済全般や文化など南北の差は実際にはさほどなくなってきたと思う。違うといってもあくまでもそれは個人差であって、北と南とでマスで客観的に差異が指摘できることはまずないのではないか。とりわけ外部から訪れる人にとっては川北と川南のちがいなどどうでもいい都市伝説みたいな類いの話だ。