働き蟻の覗いておりぬ蟻地獄
比較的最近、アリに関することで話題になったのが、アリの巣(集団)には無役の個体が一定程度いるということだ。他のアリがせっせと働いているそばで、なにもせずにぶらぶらしているアリがおり、実験的にそのアリを集団から取り除くと、残ったアリのなかからまた無役のアリが現れるという話。/全部が目一杯稼働している、つまり余力がぜんぜんない状態では突発的な不測の事態に対処できないので、常に一定程度の余裕を持たせておくのであろうと推測されている。が、それは人間社会の意識を投影しているだけで、じつはまったくそんな理由ではないのかもしれない。
空蝉が見ているほうを天とする
家の近くの神社に直径2mをこえる巨大なケヤキが生えており、先日夜の散歩のときにライトでその幹を照らしてみるとたくさんのセミの抜け殻が幹についていた。その数は100できかないであろう。なかには抜け殻ではなく、今夜羽化すると思われる個体もいくつか混じっている。/興味深いのはその高さがかなりまちまちなことで、地面にほど近い数十cmのものもあればずっと見上げるような4〜5mほどの高いところのものもある。セミの幼虫がそんな高さまでよじ上るのは容易なことではなかろうが、単なるランダムな結果なのか、しかとした理由があってのことなのか。
頂上に郵便局臨時出張所稲の花
登山がもっともにぎわうのはやはり夏で、とりわけ7月半ばからお盆の8月半ばくらいまでがピーク。俳句歳時記でも、個人的にはおおいに疑問があるのだが登山は夏の季語となっている。私なら暑くて混雑するその時期はあまり山には行きたくないけどなあ。しかし「◯◯の頂上に登ったぞ!」といったようなことをその場で家族や友人にいちはやく知らせたいと思う人がすくなくないのか、有名な山では頂上付近の山小屋に臨時の郵便局が設置されるという話をきいたことがある。消印のスタンプがその証明というわけだ。/ひところ前まで一世を風靡した「日本百名山」ブームもようやく下火になってきたようである。むかし深田久弥という人が選んで本にまとめた『日本百名山』をまるでバイブルのように奉り、そこに記載された百山にすべて登頂することを至上の目的とするような、わけのわからない行為である。それがエスカレートして、最年少または最年長で百山登頂達成を競うとか、連続登頂をごく短期間のうちに狙うなど、まったく馬鹿げたきちがいじみた競争まで現れた。それを『山と渓谷』などの登山系雑誌がさも偉業のようにあおり顕彰するなど、ほんとうにどうかしている。/登山は私の感覚では、むしろそういった世俗的なしがらみをできるだけ離れた個人的営為であるからこそすばらしいと思うのだが。
(※ 写真は山形・秋田の県境の三崎公園のタブの林。常緑のタブの大木が生い茂り、昼でも薄暗い古道が続く。芭蕉もここを通ったらしい。)