コーヒーブレーク 50 「うずたかく」

 

このコーヒーブレークも今回で50回目。最初が昨年の1月14日で、4句掲載が3回あったが基本的には3句ずつとしているので、今回の分も含めると計153句披瀝したことになる。俳句のみ3〜4句載せるだけでは、読みもの的にはあまりおもしろくないと思うので、自分が撮ったイメージ写真(主に自然関係の)1点と、句ごとに短文を添えている。

短文はその句自体の「解説」というわけではなく、あまり一般的とはいいがたい季語の注釈だとか、たまたまその句に出てきた単語や情景にちなんだ思い出やミニエッセイのようなものを考えている。俳句の自句自解はつまらないというのが通例で、五七五と非常に短い詩であるゆえに逆に広大無辺であるという俳句の特性を損ねるだけだ。その句をどう読むかはまったく読者の自由であって、(作者を含む)他者から読みを規制されてはたまったものではない。

この調子でコーヒーブレークを続けていけば2年間で250句くらいにはなる計算で、それに写真と短文も添えればボリューム的にはじゅうぶん1冊の本にはなる。そんな感じである程度定期的に本にしていけばと言ってくださる方もいるが、相当程度の費用がかかるので実現は難しい。それよりもまずコーヒーブレークにかぎらずこれまでの15年ほどの句作の中から1冊の句集にまとめることのほうが先決であろう。なんとか来春くらいまでには発刊したいと思っている。

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囀のいつしかなまっておりにけり

囀(さえずり)は鳥類の雄の繁殖期における縄張り宣言や雌への求愛の鳴声で、それ以外のふだんの鳴声である地鳴(じなき)とは区別する。私は鳥類に対する知識はほとんどないのだが、囀にも地域差、いうなれば方言のようなものがあるらしい。例えばウグイスはどれもホーホケキョではあるものの、速度やリズムやイントネーションは地方地域によって微妙に異なるようである。/また囀はそのための能力は本能的に有しているものの、後天的な学習にも左右され、うまく鳴くことができるようになるには学習と訓練が必要。したがって生まれて初めて繁殖期をむかえる雄鳥はとりわけうまく鳴くことができず、もうすこし年齢と経験を重ねた個体の鳴きを真似るという。飼い鳥の場合は、鳴きが上手であるという評判の鳥を鳥かごに入れて拝借してきて、生徒役の鳥のかごのそばに置いておくということも江戸時代などにはふつうに行われたそうである。

のどけしや戦車くまなく洗わるる

戦車は無限軌道=クローラ(キャタピラは商品名)を持っているので、未舗装路はもちろんのこと相当程度の荒れ地でも走行可能である。ということは必然的に泥汚れが付くことが多いわけで、平時の訓練後ならそのつどきれいに洗車するのであろうか。泥んこのままでは整備点検もできないので、やはり適宜きれいにしなければいけないのだろうね。実際の戦闘中には洗っているような余裕などあろうはずもないので、戦車がていねいに隅々まで洗われ磨かれているときは、すくなくとも一時の平和ではある。

被曝名簿うずたかくあり目借時

俳句には俳句特有の、つまり他の詩歌・文学ではまずお目にかかることがないようなおもしろい季語がいろいろある。「蛙の目借時(かわずのめかりどき)」またはその短縮形「目借時」もそのひとつである。春眠という言葉も一般にあるように、春の暖かい陽気はやたらと眠気をさそう。そうした時期は蛙たちがしきりに鳴声をあげるときでもあり、作業中や仕事中でもついうつらうつら、こっくりとなってしまうこともある。それをまるで蛙に目を借りられてしまうからだ、とみなすことによる季語。ほら蛙が目から上だけ頭を出して池などに浮かんでいる絵や写真がありますね、あれです。/ただしこうした特殊な季語は、それだけで非常に強い力を持っており、周囲の空気をそれで一色に染めてしまいがちなので、扱いにはとくに注意が必要。

 

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