蛍群舞して人の頭のあらわるる
蛍で忘れられない光景がある。町内の用水路にそってあたり一面に群舞するヘイケボタルである。今は全面的に石やコンクリートで護岸されてしまったが、昔は土を盛った文字通りの土手で、湧水や井戸水が大量にまじり川中にはバイカモが漂うきれいな冷たい流れであったから、蛍の棲息環境としては最適であったろう。外灯などはろくになかったのでいつもはほとんど真っ暗な空間なのだが、蛍が大量に発生する時期はその明かりで土手上の未舗装の道と川面との差もはっきりわかったし、そこを歩く人の姿も蛍の発す光でぼんやりと輪郭が浮かんでいた。/子どもたちはいわゆる蛍狩りに興じていたが、あまりにも蛍の数が多いので捕虫網などは必要とせず、手に持った団扇にとまってくる蛍をそのまま虫かごに払い落とすだけで充分だった。寝る時の蚊帳もまだ健在だったので、捕まえてきた蛍をその中に放して楽しむのだが、朝起きてみるとまるでネズミの糞のように畳の上にみな死骸となって散らばっているのだった。
裏表ためつすがめつ蛇の衣
蛇の体は硬い鱗に覆われている。それで暖かい時期に数回脱皮して大きくなるのだが、そのあとに残るのが蛇の衣である。脱皮は顎の下のわずかな突起を石や木の角等にひっかけ、口部から皮を裏返すようにして前進しながら脱いでいく。したがって人工的な飼育環境などで引っ掛けることのできる物体がない場合はうまく脱皮できないらしい。しかし蛇の種類にもよるが、頭から尻尾の先まできれいに、途中でやぶれたりせずに脱皮を完了するのは少ない。慣れた人なら脱いだ皮であっても即座に蛇の種類を言い当てられるのだろうが、そんな人はもちろんまれである。
落蝉や自死する蝉のまじりたる
「猿も樹から落ちる」というが、蝉も樹から落ちる。寿命が尽きて落下することもあるが、あまりにも気温が高いと、日中でもそのせいでぼとぼとと地面に蝉が落ちていることがある。昆虫だから自意識などはおそらくないし、まさか実際には自死・自殺する蝉はいないだろう。/けれども人間ならばこの日本では年間に3万人を超える人が自ら命を絶っている。あえて言えば一日に平均して100名ほどの人が自死・自殺していることになる。とんでもないことだ。ただ、あくまでも個人としての生・死についてに限っていえば、私は自殺を非難することはない。そのことも生きることの究極的な選択肢のひとつであって、他者がそれを非難したり逆に奨励するようなことではないと考える。たとえ経済的身体的に恵まれていたとしても、精神的な苦悩が甚大ということはいくらでもありうるからである。