コーヒーブレーク 20「醜きもの」
苗床や醜きものは捨つるべし
花卉園芸などを播種から行っている方はよくご存知だろうが、一本の草花から取れる種子の数は膨大で、それをみな撒いたとすると発芽率がそれほどよくない場合ですらたくさんの苗が生ずる。自然界では他の動物などから食われたり菌におかされたりして発芽以前の段階からすでに自ずと数が減っていくのだが、それは種子相互の優劣の差といった理由よりはほとんどが運・不運の差である。運がよければ生きのび、運がわるければ死滅する。/しかし人工的に保護された環境では、自然的な淘汰圧はあまり働かないので、そのままでは過密でもやし状態になるか病気で一気に全滅する危険がある。また、もし全部の苗がすくすくと順調に成長したとしてもそれをみな本植えして育てるだけの空間も手間もお金もない。/それで必然的に間引いて育てる数を順次減らしていくのだが、その際の選別するポイントはそれほど明瞭単純ではない。より大きく元気に育っているものを優先的に残すならまだ簡単だが、あえてすこし毛色の変わったものを残すことも少なくない。斑が入っている、葉が異様に小さく密生している、花の色がふつうと異なる、直立すべき茎が湾曲している、などである。/園芸家のきわめて主観的で偏向したその選択眼にかなったものは残され、そうでないものは容赦なく抜き捨てられる。せっかくここまで育ったのにもったいないとかかわいそうなどと躊躇していたのではけっして一流の園芸家にはなれないだろう。
箱庭に震度8の地震及びたる
私自身が実際に経験したことのある地震の震度は5弱が最大である。小学校5年のときだったかの新潟地震(1964年)だ。地面が大きく左右に揺れてまともに歩くことができなかった。さいわい近隣では死者はほとんどなかったが、建物などはだいぶ損害を受けたと記憶する。それから数十年後のあの「3.11」(2011年の3月11日)の東北大震災のときは震度4強だったろうか。/防災センターの「地震体験コーナー」で子どもたちと震度7の揺れを30秒ほど味わったことはあるが、家具に見立てた発泡スチロールの食器戸棚などはほとんど瞬時にくずおれてきた。もしそれが本当の地震で震度7だったらまさに阿鼻叫喚だろうと思った。/一般に広く用いられている気象庁震度階級では、地震の震度は0から7までで、震度5と6にはそれぞれ強・弱の別があるので、全部で10段階。したがってほんとうには震度8の地震というものは存在しない。/箱庭は一人で抱え持てる程度の大きさの箱様の容器に、植栽があり築山があり水流があるような庭園を模したもので、夏の季語とされる。また地震と書いて俳句では「ない」と読ませることがある。
全人類プレートにすがりて漂えり
地球の表面をおおう地殻=プレートがゆっくりと動いて循環しているという「プレートテクトニクス」論を初めて耳にしたのは40年以上前の高校の地学の授業だった。地学の先生が「まだ教科書には載ってないけどこういう面白い理論があるんだ」と口頭で紹介してくれたのである。さすがにそれを荒唐無稽のトンデモ論だと思った生徒はあまりいなかったようだし、私自身はさもありなんと受け止めたが、もしそれがさらに数十年も前であったなら当然聴衆の反応は違っていただろう。/プレートテクトニクスは1912年にアルフレート-ヴェーゲナーによって初めて提唱され、その原動力として1928年にアーサー-ホームズによってマントル対流説が主張され、1968年にツゾー-ウィルソンにより諸説がまとめられることでようやく学会の定説となったという。きちがい扱いされたヴェーゲナーから半世紀以上たってようやく広く認められるようになったわけである。人間の人間自身および環境に対する認識はいまも揺れ動いている。