青猫句会 2016.8.17

 

青猫句会 と名称をあらためての2回目の句会です。出席者は8名で、相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤喜和子・土田貴文・南悠一の各氏。仕事の都合により投句のみがほか2名で、佐藤百恵、あべ小萩の各氏。計10名の参加でした。

句会のすすめ方はいつもの通りで、事前に2句を無記名で投句。当日は清記された二つの句群からおのおの2句ずつ選句します。作者名が明かされるのは披講と批評が終わってからです。以下の記述は当句会の代表(主宰)をつとめる私=大江進からみての講評です。異論反論も歓迎ですので、お寄せいただければありがたいです。では其の一から。

1 欠け月に撫でて弾けや二尺玉
0 雨蛙小川の水も涸れむとす
3 あきあかね水面の空を切りたがる
1 黒こげの少年の涙長崎忌
4 腑がひしめきおうて冷蔵庫
0 新盆の迎えし母にひとり耐ゆ
0 ぬけ空にカボチャもたどる運命あり
2 夏雷は蝶たちの交尾の真上
0 泣きべその汗疹に擦れる母の指
5 青田波さびしき陸の鯨かな

最高点5点句は<青田波さびしき陸の鯨かな>。一面の稲田が風に揺れ動くさまはまるで海原のようでもあり、それはまるで大きな生き物が移動しているようだと。鯨をどうとるかですが、私は海から一度陸にあがり、また海にもどった太古の鯨をイメージしました。しかし今もその鯨は夢の中で陸地を行き来する、目には見えない鯨なのかもしれません。とすればたしかにその存在はちょっと切ないものがありますね。私も取りました。作者は大場昭子さん。

次点4点句は<腑がひしめきおうて冷蔵庫>は、今の季節さまざまな雑多な飲食物や食材が、冷蔵庫からあふれんばかりに詰められている家庭も多いと思います。そのようすが内臓のようだということもありますが、それらもやがて人間の口に入り、人間の血肉になっていくであろうことも想起させます。中七で一度軽く切れるので、ひしめいている腑とはむしろ先に人の五臓六腑であるともとれるでしょう。作者は私です。

3点句の<あきあかね水面の空を切りたがる>ですが、アキアカネの仲間は比較的高いところを飛ぶので、オニヤンマやイトトンボのように水面にはあまりなじまない感じがします。空を飛ぶアキアカネが水面に写っているとも解釈できますが、そうだとすれば座五を「切りたがる」としないで、ずばり切ってしまったほうが句意は鮮明になります。作者はあべ小萩さん。

2点句<夏雷は蝶たちの交尾の真上>は、賛否がわかれるでしょう。私も取ったのですが、雷と蝶の取り合わせはおもしろいのですが、「〜の真上」とまで言ってしまったのはむしろ損していると思います。「交尾」という語が出てきたので「真上」なんでしょうが、雷が鳴ろうがどうだろうがそれとは無関係に蝶が番っているとしたほうがインパクトがあると思います。また「雷」は夏の季語なのでわざわざ「夏雷」としたことや、「蝶」は基本的に春の季語ではないのかというような違和感を覚える人も少なくないでしょう。作者は南悠一さんです。

1点句<欠け月に撫でて弾けや二尺玉>ですが、表現がとてもぎこちないように思われます。「欠け月」も造語ではないにしても、どのような月なのか読者はぴんと来ません。もし三日月のような尖った月であって、それに花火玉が触れてはじけるようだということであれば、もっと月の形態を明らかにしたほうがいいでしょうし(実見とはちがったとしても)、「撫でて」ではなく当然「触れて」でしょう。「弾けや」としたのも感心しません。僭越ながら私なら<二日月ふれてはじけり二尺玉>ですかね。作者は土田貴文さん。

無得点句ですが<泣きべその汗疹に擦れる母の指>は句意がいまひとつはっきりしないものの、なにか気になる句です。「汗疹」に「擦れる」ですからちょっと痛々しい感じで、それが何を示唆するのかはわかりませんが。作者は佐藤百恵さん。

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若干アクシデントがあって句会の開始が1時間近く遅れたので、すこし駆け足の句会になってしまいました。さて其の二です。

1 初秋の木の間木の間に水の音
1 広々と田主(たにし)もすまぬさびしさよ
2 初盆の避暑地となれり祖母の庭
2 短夜に待ちわびたかぜ紙とばす
3 かき氷嶺をくずして登攀す
1 打ち水にひんやり響くチェロの音
0 瀑布なすフロントガラスや雲の峰
4 空蝉の並びて空へ飛ぶつもり
0 八月や父の戦記を読み返す
2 顔寄せて陽を浴びてをり百日草

最高点は4点句の<空蝉の並びて空へ飛ぶつもり>ですが、私も取りはしたものの不満があります。まず「空蝉」はすでにセミが羽化して空になったものなので飛ぶことはありません。もちろん俳句は文学ですので科学的事実と異なる表現があってもいっこうにかまわないのですが、それならば座五を「飛ぶつもり」ぬるくしないで、いさぎよく飛ばしてしまったほうがいいでしょう。そうすればすっきりします。「フィクション+のつもり、のようだ、とならん、……」といった表現は、せっかくの面白いフィクションを薄味にしてしまう場合が多いと思います。作者はあべ小萩さん。

次点3点句<かき氷嶺をくずして登攀す>は、ただ単純にあっけらかんとした俳味があって、こういうのもいいですね。私も取りました。私は冬山も登っていましたので氷雪の登行は実感があります。「登攀」とあるので、高く大盛りにしたかき氷でしょうか。作者は南悠一さん。

2点句は3句あります。はじめの<新盆の避暑地となれり祖母の庭>ですが、お盆で帰省した子や孫たちでしょうか。大人たちの気の重さをよそに、くったくなく庭ではしゃいでいる子供たちのようすが目に浮かびます。いくらか川柳っぽくもあり、読みようによってはかすかな毒を感ずることも。作者は佐藤百恵さん。

つぎの<短夜に待ちわびたかぜ紙とばす>は、「短夜」と風を待望することがすんなりとはむすびつきませんし、それで吹いてきた風が紙をとばしたというだけでは「だからどうした」と言われてしまいそうです。「待ちわびた」がよけいかな。作者は土田貴文さんです。

つぎの<顔寄せて陽を浴びてをり百日草>は、もしかすると中七で切れ、顔を寄せているのは百日草ではないのかもしれませんが、判然としません。百日草はメキシコ原産のキク科の一年草で花期が長いのが特徴のようですが。作者は相蘇清太郎さん。

1点句も3句あります。<初秋の木の間木の間に水の音>は樹々が生い茂った渓畔の道の情景が浮かびます。「の」の断続もおもしろいです。しかし情景描写そのままで単に事実報告と受け取られかも。作者は大場昭子さん。

つぎの<広々と田主もすまぬさびしさよ>は問題句といえます。作者=今井富世さんは「田主」に「たにし」とルビをふっており、田螺というよりは田の神様の意味をこめているとのことですが、読者にはそれはほとんど伝わらないと思います。本人から詳しく説明されないとわからないのはやはり問題でしょう。句としてもむしろストレートに「田螺」としたほうがいいと感じます。

<打ち水にひんやり響くチェロの音>は打ち水とひんやり、チェロと響きも、ふたつとも付きすぎですね。作者は齋藤豊司さん。

無得点句の<瀑布なすフロントガラスや雲の峰>はじつは私の句です。入道雲がわきあがっている空の下を車で走っていると、対向車のフロントガラスなどにそれが写って巨大な瀑布のように猛烈な勢いで去っていくようすを詠んだのですが、ちょっと分かりにくかったですかね。

 

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