シテ句会 2016.4.20

 

これまでは奇数月ごとに開催してきたシテ句会ですが、今月から毎月行うことになりました。毎月第三水曜日の18:30〜21:00、酒田市駅前にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店をその時間は借りきって句会を行います。『シテ』は現代詩や俳句や短歌等の短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、こちらも年3回発行だったものを6月以降は3ヶ月毎の年4回発行=季刊となります。現在9号まで発行しています。

今回の参加者は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・南悠一と、見学の方が二人の、合わせて9名でした。事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群=其の一&其の二の中からおのおの2句ずつ選びます。その句を取った人、また取らなかった人がそれぞれ披講を行い、そのあとで初めて作者が明かされます。もちろん作者のその句に対する思いや作句の意図なども話すことになります。このような句会の進め方はおおむねどこの句会でもほぼ同じで、先入観を排し忌憚のない批評を述べてもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私(大江進)からみての講評です。ときどき遠慮会釈のない辛口批評を含むことがありますが、どうかご容赦ください。異論や反論はとうぜんあるかと思いますが、コメントをいただければうれしいです。賛同であれ大反対であれ、反応があることはたいへんありがたいことと受け止めています。よろしくお願いします。では其の一から。

2 水仙月の夜会のはじまりぬ
1 春の霜いのつちかの間燦ざめく
5 だめですと言えないままに春の雨
1 寂しさもこれくらいなら春よ来い
4 遠近に舫い往き来て春暮れん
1 花地蔵こちょこちょをして帰りたし
4 ひび割れて吉祥模様や春の泥

最高点は5点句の<だめですと〜>です。私も取ったことは取ったのですが、あまりにも漠然としすぎており、どうかなという感じはしました。春の雨なので、おだやかでけぶるような、静かでほの暖かい雨という意味合いをもともと含んでいるわけですが、それが上五・中七と妙に合っていることがこの句の場合は逆に弱みです。またシテ句会の投句は「おおむね当季の季語を入れる」ということをルールとしているとはいえ、「春の雨」は容易に動くでしょうね。作者は伊藤志郎さん。

次点4点句は2句あります。はじめの<遠近に〜>は「舫い」を最初私はよくわからず、舫う=船の係留かと思っていました。岸につながれた船の「静」と、往来する船の「動」とではミスマッチかなと。しかし作者の齋藤豊司さんによれば舫いは船自体のことだそうです。その船が夕刻に港付近を行き来している光景のこととか。なるほどそれだとよく分かりはしますが、一方ではそれは水墨画的予定調和に陥ってしまうかもしれません。貨物船や客船などの大型の船舶ではなく、もし漁船などの小型の船舶の行き来を意味するのであれば「舟の」とする方法もありそうです。

次点句の二つ目<ひび割れて〜>は、春泥が乾いて亀甲模様などを描くさまを詠んでいます。つまり雪が溶けてどろどろにぬかるみなんとも始末に負えないやっかいな存在、忌み嫌われる存在が、一転して吉祥のシンボルになるというおもしろさを言っているのですが、泥が乾燥した際にえがく形状がぱっと脳裡に浮かばないと観賞は難しいかもしれないですね。作者は私です。

2点句の<水仙月の〜>はじつは『シテ』の最新号の9号のキャッチコピーにも「水仙月の夜会」という言葉が使われており、まあネタばれですね。水仙月(すいせんづき)は宮沢賢治の造語のようですが、そのことを知らなくとも水仙が咲くようなまだ肌寒い早春の頃だろうという想像はできます。淡い照明に浮かぶ白い花の点々とした景が目に浮かぶようで、「夜会」という言葉とも雰囲気はよく馴染んでいます。私も取りました。もっとも水仙は俳句歳時記では冬の季語とされていて、当地の季節感とは1ヶ月ほどのずれがあります。作者は南悠一さん。

1点句は3句あります。<春の霜〜>は中七・下五がそのまま季語の説明になってしまっているようです。<寂しさも〜>は小林一茶の<目出度さも中くらいなりおらが春>をどうしても連想してしまいます。損していますね。また一茶の句は意味合いもそれとなく理解できそうですが、挙句ではなにが寂しくて、それなのにそして「春よ来い」と言っているのか見当がつきません。<花地蔵〜>は桜の花びらが降り掛かっているお地蔵さんでしょうか。口語の「こちょこちょ」が効いているかといえば、ちょっと難しいかな。

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人数も最近のシテ句会としては多めで、しかも新参の見学者もふたりおり、かなり若い方も混じっていることもあってか、発言が活発に成されていました。むしろ時間が足りないくらい。このままメンバーが増えてくれればありがたいですね。さて小休止の後、其の二です。

4 クラス写真の五秒前山笑う
2 四葉の五葉の六葉のまだクローバー
0 帳おり海の果てに雲雀東風
3 バレリーナ アン・ドゥ・トロワと咲きにけり
1 野ざらしの左手首のトルソーよ
5 ちひさきはちひさく咲くよいぬふぐり
3 指先のこごえる朝の初鰹

最高点は5点句の<ちひさきは〜>でした。私も取りましたが、「いぬふぐり」を私は最近の圧倒的に多い外来種のオオイヌノフグリではなく、むしろそれより小型のイヌノフグリ(在来種)やもっとずっと小型のタチイヌノフグリ(外来種)をイメージしてしまいした。しかしいまではほとんどの人がオオイヌノフグリをイメージするでしょうから、花径1cmほどの青色の平開するその花は、私にはけっして「小さい花」という感じはしません。小さいものを小さいと詠むことはなるほどとは思うのですが、それが「いぬふぐり」では常識的で軽すぎますし、きっと他の人が同工異曲の句をなんども詠んでいるにちがいありません。作者は大場昭子さん。

次点4点句<クラス写真の〜>は、それほどはかしこまらない雰囲気の写真撮影で、周囲の山々も新緑で萌えているのでしょう。しかし「五秒前」をどうとらえるかはなかなかくせものかもしれません。「さあ写すよ」という声がかかる前のざわつきを言ってるのか、整列が終わって写し終わるまでの時間なのか、それとも単に五音にそろえるために3秒前とかでなく5秒前にしたのか。いずれにしても「山笑う」という春の季語とはそれなりに馴染んではいるかもです。作者は伊藤志郎さん。伊藤さんは其の一と合わせて9点獲得。

3点句はふたつ。<バレリーナ〜>ですが、作者以外は皆、バレリーナを文字通りに踊り子のことと考えたようです。その衣装が体の動きにつれて開いてゆれるようすを花が咲いたようだと。比喩としては平凡ではあるけれども、最初にバレリーナときて次いでアン・ドゥ・トロワと続く流れるような語調はたいへんいいです。ところが作者の相蘇清太郎さんによればバレリーナとはバラの品種名のことだそうで、それは他者にはまず伝わりませんねえ。

<指先の〜>は、中七が「こごえる」とあるので冬・新年の景とうけとめた人がいましたが、初鰹は6月頃に出回るカツオのことで、夏の季語。そうすると指先がこごえるという表現とは合わないように思います。もっとも今は近場で採れた魚ではなく、全国どこで採れたものでも外国産でも容易に手に入るわけで、季節感が混乱してしまいます。実際、作者の今井富世さんは先頃市場で売られていたカツオを買い求めたのだとかおっしゃっていたように思うので、それは沖縄産のものだったかもしれないですね。

2点句の<四葉の〜>は問題句。クローバー(白詰草、または苜蓿)は3小葉が基本形ですが、ときどき四葉もありそれは幸福のシンボルのように言われます。そのため、ほとんどの人が四葉のクローバーを探したことがあるかと思います。ところがよくよく探すと五葉や六葉やそれ以上の葉をもつ個体もあり、しまいにはクローバーという概念が歪んできそうです。それで「まだ」ということなのですが、わかりにくい句ですね。作者は私です。

<野ざらしの〜>は一読して前回の句会で出た「手袋のやうな手首を拾ひけり」を思い出してしまいました。それに今回の句には季語がありませんし、俳句というより詩のなかの一節のような感じがしてしまいます。<帳おり〜>も問題の句です。「東風(こち)」は東からふく早春の風のことですが、これにさらに他の言葉をつけくわえて「雲雀東風」「鰆東風」「梅東風」「桜東風」などと使われると歳時記では説明されています。しかしやはりこれは西日本あるいは表日本の感覚でしょうし、語源的には陰陽五行説での春=東によるもので、実際の季節風の風向きとはあまり関係がありません。東風だけでも本来の季節感は希薄なのにさらに雲雀東風では訴求力がありません。

 

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