さかむけのひとつやふたつ俵雪
木工の仕事で冬期間はできるだけ手袋を着用するように心がけてはいるが、作業内容によっては当然そうもいかないことがある。そのため程度の差はあれど手指の荒れ、あかぎれやさかむけができしまう。その傷口にまた何かが触れてしまうとたいそう痛い。尿素配合のスキンクリームやワセリンをまめに塗ることでだいぶ軽減できるが、皆無というわけにはいかない。毎冬の悩みではある。/俵雪は厳寒期に、一度積もった雪の表面が凍結し、その上に新たに積もった雪が烈風によって一部めくれあがり、それが雪だるまを作るときのように転がっていって、バウムクーヘンのような輪状になったものだ。米俵などの底と口は縄を丸く編んでこしらえるが、ちょうど側面がそれに似ているというので俵雪。気温があまり低すぎても高くても形成されず、風も単に強ければいいというわけではなくその角度や向きがあり、それに地形にも大きく左右されるので、雪国であっても俵雪はいつでもどこでも見ることができるものではない。私自身もたまにしか遭遇したことがない。/俵雪ということで、豊作を想起させるめでたいものとしてとらえられているようだ。豊富な雪は水稲栽培には欠かせない豊富な水の源である。
セーターは闇と身体を着替えたる
セーターは着なくなったなあ。たいてい厚手のシャツ+フリースという格好でいることがほとんどで、一度も冬あいだ出番がないこともある。セーター自体は嫌いなわけではなく、昔はフルオーダーで作ってもらったこともある。しかし風が通るので戸外ではさらに上にコートやジャンパーなどを着ないと寒いし、素材がウールだと保管に気をつけないと虫に食われてしまうことがある。それに洗濯がなかなか面倒だ。フリースであれば他のものといっしょに簡単に洗濯機で洗えるしすぐに乾いてしまうが、セーターだとそういうわけにはいかない。
若菜野へ半壊したる温室の中へ
若菜は正月七日の七草粥に入れる若草のことで、俳句の世界では新年の季語とされているらしい。そりゃ雪が積もらない、もうすこし暖かい地方ならそうかもしれないが、当地では元旦の頃に若草を摘んで粥にするなどということはまずありえないことである。現実の自然に即すなら若菜はせいぜい3月以降にふさわしい言葉(季語)ですね。/住む人が減り、離農するところも珍しくなくなって、なかば壊れてしまった温室やビニールハウスが手入れもされない(できない)ままに放置されている光景をしばしば見かけるようになった。心の痛む光景であるが、壊れているとはいえ完全に倒伏してはいない場合、外に比べればいくらか温度も高く雨雪に直接たたかれることも少ないので、おもいのほか緑が広がっていることがある。