コーヒーブレーク 31 「方向音痴」

 

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角穴なれば四角く眠り秋の蛇

鳥海山も頂上付近は雪が積もって白くなってきた。蛇たちももう冬眠のためにそれぞれ穴に籠ってしまったのか、姿を見ることがなくなった。蛇は何匹もが集団状態、団子状になって眠るのだというが、私は実際に見たことはない。以前ほどではないにしてもやはり蛇やトカゲなどの爬虫類は気味がわるいという思いを払拭することができない。/インターネットなどで調べてみると気温が5℃を下回るようになると本格的に冬眠体勢となるが、今くらいの季節からそれの準備のために獲物を捕ることはせず、もっぱら排泄に専念し胃腸を空にするらしい。どうりであまり姿をみかけないわけだ。冬眠期間中は生理機能を最低限度まで落とし省エネルギーに徹する。反対に春はいつころ冬眠からさめて外に姿をみせるかというと、おおむね気温15℃以上の日が数日続くようになるころが目安だそうだ。

ほんとはね方向音痴なんです穴惑

秋も深まっているのに野外でまだ姿をみせている蛇のことを「穴惑い」という。俳句用語で秋の季語である。むろんあらためて言うまでもなく、その蛇は冬眠の穴を探しあぐねて迷っているわけではない。/さて自然界の動物はどうやって行くべきまたは帰るべき方向を察知するのだろうか。熊などはときに一日に10km以上も山中を移動すると聞いたことがあるが、人間のように道に迷わないための目印をつけたりするわけではないし地図を持っているわけではもちろんないので、つまり知能的判断ではなく持って生まれた本能のような原初的な感覚で方向などをみきわめているのだろう。/人間にはそういう感覚がすでに失われているのかというと、まったくゼロというわけでもなさそうである。私は昔、出羽山地などの登山道がきわめて稀な山域をよく登っていたが、それを何度もくり返しているうちにしだいに地図やコンパスなどに頼らずともなんとなく「こっちに行くべき」ということが分かってくる。それは不思議な感覚で、なにか具体的な目印なり記憶があるわけではないのに、この左の尾根のほうが、あの右の沢のほうが、「正しい」気がするのである。それは自分が一瞬野生の獣に戻ったような強い快感だった。

たぬきうどんきつねうどんがいて満月

宇宙というものの一般的な概念には強く惹かれるものがあるが、個別具体の恒星や惑星・衛星・ブラックホールといったものにはさして私は関心がない。それらは文字通りはるかかなたにあり、距離的にも時間的にもけっして接触しえないものなので、「知ってみたところでどうにもならない」という諦念が先にあるからかもしれない。いわゆる天体観測もほかの人から誘われて高倍率・高性能の望遠鏡で月や木星などをのぞいてみたことはあるが、すぐに飽きてしまってそれっきりになってしまった。

 

(※ 写真は高山植物で矮性低木のチングルマ=稚児車の紅葉。透明感のある紅色がたいへん魅惑的。)

 

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